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2度の逮捕に自宅軟禁……権力に屈しないイランの名匠パナヒ監督が描くヒューマンミステリー『ある女優の不在』

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ライター:#大倉眞一郎
2度の逮捕に自宅軟禁……権力に屈しないイランの名匠パナヒ監督が描くヒューマンミステリー『ある女優の不在』
『ある女優の不在』©Jafar Panahi Film Production

政治・経済・世相、揺れるイラン

私がイランを旅した2017年はテヘラン街頭で騒擾が起きる気配もなかったし、身に危険を感じるようなことは全くなかった。おそらく現在も外国人旅行者に危害が加えられるようなことはないはずだが、ガソリン値上げをきっかけに始まったデモは激しさを増し、鎮圧による死者が100人を超えるような状態を「安全」だとは言い難い。

アメリカが核合意を一方的に破棄してしまい、イラン原油を購入した国はアメリカから制裁を受けるというメチャクチャな状況のなか、財政が逼迫したイラン政府はガソリンを値上げせざるを得なくなった。極端に単純化して解説すればそういうことだが、実は日本人に好意的に接してくれるイラン人としばらく話をしていると、意外なことを聞かされることがあった。

こちらから話しかけるのではなく、公園で休んでいたり散歩をしていると、向こうから声をかけてくるのである。「革命防衛隊か?」と一瞬構えるのだが、相手は普通のおじさんやお兄さんたちで、たわいもないことから会話が始まり、しばらくすると政府への不満をぶちまけ始める。政治的な民主派・保守派の対立というわけではなく、私が一番多く聞かされたのは、腐敗だった。

「前大統領アフマディネジャドの弟が汚職で逮捕された。今のロウハニ大統領も似たようなものだ」「政府というのは大統領が変わっても信用できない。一般の人間の生活は苦しいままだ」というような内容がほとんどで、「日本も似たようなもんだぜ」と妙に深刻になってしまったが、要は生活に根ざす不満だった。

『ある女優の不在』©Jafar Panahi Film Production

街で女性と立ち話するなんてことはないのだが、モスクでやたらたくさんの高校生くらいの女学生たちがニコンやキヤノンの高級一眼レフを手に写真を撮りまくっていたのは実に印象的で、「カメラマン志望か?」と、また別の一面を見た。旅行社に飛行機・宿の手配で立ち寄るとほとんどの職員は女性で、流暢な英語を使いこなす。服装も頭部を隠すだけのヒジャブで、その下はジーパンという格好も珍しくない。市場に行けば、専業主婦であろう全身を黒い布で覆った実にイスラム的な女性が多い光景を目にするが、女性の活動は多様で、服装もかなりイスラム革命時に比べれば制約が緩くなっている。

イラン映画界の不思議

私はイラン映画が好きで、これまでもあちこちで秀逸な作品を紹介してきた。アッバス・キアロスタミをはじめ、好きな監督をあげればきりがない。そのなかにジャファル・パナヒがいる。キアロスタミの弟子ともいわれ、『白い風船』(1995年)、『鏡』(1997年)、『チャドルと生きる』(2000年)、『オフサイド・ガールズ』(2006年)と、硬軟取り混ぜながらイランの世相を描く名監督だが、『チャドルと生きる』『オフサイド・ガールズ』で政府(の誰だかわからないが)を怒らせ、2010年に映画製作を禁じられてしまう。

『オフサイド・ガールズ』はサッカーのスタジアム観戦を禁じられている女性たちが、あの手この手で潜り込もうとするコメディタッチの作品であり、「いいじゃねえか、2019年は女性の観戦が認められたし、何も文句ないだろう」と思うのだが、パナヒは映画を作れない。しかし、ほかにもイランで公開されながら、うまくイランの抱える問題を投げかけている作品も多いのに、どうしてパナヒだけ?

さらに不思議なのは、国外に出ることも禁止されているパナヒは製作禁止という処分を受けているのに、国内で2010年以降も映画を作っている。しかも、『人生タクシー』(2015年)はベルリン映画祭で金熊賞を受賞、今回紹介する『ある女優の不在』はカンヌ映画祭で脚本賞を受賞している。誰がどのように撮影を手配しているのか謎だが、ともあれ、面倒な環境の中でパナヒは世界で賞賛される映画を作り続けている。

『ある女優の不在』©Jafar Panahi Film Production

物語の発端は、女優としての“未来”を奪われた少女による動画

人気女優のもとに、ある少女からスマートフォンで撮影された動画が送られてくる。「女優を目指して勉強し、テヘランの芸術大学に合格したのに家族から猛反対されて、進学を断念せざるを得ない。あなたに力になって欲しくて、何度もメッセージを送ったが、音沙汰がない。もう諦めて、命を絶つことにする」と、首にロープをかけて少女は画面から消えてしまう。これは何かの冗談か。脅迫にしては何も要求してきていない。それに、一度もこの少女から連絡を受けたことがない。

『ある女優の不在』©Jafar Panahi Film Production

しかし、現役女優である自分が返事をしなかったから、女優志望の少女が自殺したということが本当であれば、責任があろうがなかろうが一生悩み続けることになる。知り合いの映画監督パナヒに運転を頼んで、少女の住む村へ向かい何が起きたのかを探り始める。イランの田舎の村は素朴で親切な人ばかり。出会う人間からサインを求められ、そんなことで来たんじゃないのに、と当惑を隠しきれない。

女優に動画を送って来た少女は本当に自殺してしまったのか、少女の家族の混乱はどういう理由なのか、“不在”の女優とはいったい誰なのか。運転手を引き受けた映画監督パナヒを演じるのは、もちろん本人だ。

『ある女優の不在』©Jafar Panahi Film Production

この作品もイランでは上映禁止となっているが、やっぱりどうしてダメなのかわからない。私が旅の中でイラン中心部のヤズドからゾロアスター教の聖地チャクチャクへ向かった長距離タクシーのドライバー兼ガイドは40代の女性で、映画の話はもちろん、国内政治についてもためらいなく話してくれた。

「イランにも問題がある。どんな国にも問題はある。その国の事情に合わせ正していくことをためらってはいけない」

その通り。イラン政府もパナヒに好きなだけ作品を作らせてあげてほしい。イラン映画ファンも増え、ひいてはイランファンも激増間違いない。現在のイランの状況が改善されることを祈っているが、その前にトランプは核合意を速やかに復活させ、イラン政府もむやみに突っ走らず、EUとの摩擦を避けてほしいと願うばかりである。

文:大倉眞一郎

『ある女優の不在』はAmazon Prime Videoにて配信中

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『ある女優の不在』

イランの人気女優のもとに、見知らぬ少女からの悲痛な動画メッセージが届いた。その映画好きの少女は、女優を志して芸術大学に合格したが家族の裏切りによって夢を砕かれて自殺を決意。動画に衝撃を受けた女優は、友人の映画監督が運転する車で少女が住むイラン北西部の村を訪れる。現地で女優と監督は、イラン革命後に演じることを禁じられた往年のスター女優にまつわる悲劇的な真実を知ることになる……。

制作年: 2018
監督:
出演: