天才監督の異常な熱情 ― キューブリックをめぐる2本のドキュメンタリー『愛された男』&『魅せられた男』

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ライター:髙橋直樹
天才監督の異常な熱情 ― キューブリックをめぐる2本のドキュメンタリー『愛された男』&『魅せられた男』
『キューブリックに愛された男』©2016 Kinetica-Lock and Valentine

没後20年、全く正反対のアプローチで天才監督スタンリー・キューブリック監督に迫ったドキュメンタリー2作品、『キューブリックに愛された男』(2016年)と『キューブリックに魅せられた男』(2017年)がカップリング上映される。これまで描かれることのなかったキューブリックの素顔、そして完璧主義者の現場とは……。

キューブリックに「愛された男」と「魅せられた男」

1999年、『アイズ ワイド シャット』完成直後に逝去したスタンリー・キューブリック。訃報から20年、偉大なる映画監督が残した作品たちは新たなファンを獲得し続け愛され続けている。

2018年5月、カンヌ国際映画祭で、クリストファー・ノーランが監修した『2001年宇宙の旅』(1968年)のアンレストア70ミリ版のプリント上映が実現、日本でも国立映画アーカイヴで限定上映、さらにIMAXフォーマットで劇場公開されたことは記憶に新しい。2019年には、アルフォンソ・キュアロン監督監修による『シャイニング』(1980年)4K版がカンヌで上映され、143分の北米公開版としてBlu-rayリリースされたばかり。『時計じかけのオレンジ』(1971年)や『シャイニング』はファッションアイコンとしても熱烈な支持を集め、Tシャツは完売となったことも記憶に新しい。

常識人が天才と一緒に仕事をすると変調をきたす。自分が生きてきた常識や尺度、価値観そのものが覆される。見えない重圧はもちろんのこと、予期できない注文を出されても弱音など吐けず、身も心もボロボロにされてしまう。天才と時間を共にするならば、彼、または彼女と同一線上の軌道を歩くのではなく、同じ方向を向いた別の道を歩いて行くのが良いのかもしれない。同じ方向を向いて、完璧主義者をより快適にするサポーターとして伴走者に徹するのだ。

没後20年を機に、完璧主義者として数々の伝説、逸話を持つ映画監督スタンリー・キューブリックをめぐる、2本のドキュメンタリー映画が同時公開される。天才の名を冠された監督に、ひとりは専属運転手として「愛された男」、ひとりは制作アシスタントとして天才に「魅せられた男」である。2本のドキュメンタリーから浮かびあがる、天才監督の異常な熱情とは……。

専属ドライバーの視点から浮かびあがる私人キューブリック

『キューブリックに愛された男』(2016年)は、天才監督の専属ドライバーとして私的なアシスタントを務めた、エミリオ・ダレッサンドロ氏の視点から描くドキュメンタリーだ。

『キューブリックに愛された男』©2016 Kinetica-Lock and Valentine

イタリアのカーショップで働き始めた彼は、知人に誘われてカーレースに出場し3位入賞の経験がある。その後、18歳でF1レーサーを目指して英国に渡るも、芽が出なかったエミリオはロンドンでタクシーの運転手として働き始めた。そんな1970年のある夜、真夜中に奇妙な依頼を受ける。ある「イチモツ」を傷つけることなく撮影所に運んでもらいたいというのだ。

『キューブリックに愛された男』©2016 Kinetica-Lock and Valentine

察しの良い方は既にお分かりだと思うが、1970年に撮影中だった作品は『時計じかけのオレンジ』であり、エミリオが運んだブツは、主人公の悪童アレックスがキャットレディを殺害する時に使ったイチモツ型のオブジェ「ロッキング・マシーン」だったのだ。悪天候の中、無事に仕事を終えたエミリオに、依頼主のホークフィルムの代表が挨拶したいと連絡が入る。エミリオのキャリアを調べ上げたキューブリックは、この時すでに専属ドライバーを依頼することを決めていたようだ。

『~愛された男』の面白さは、私人キューブリックの悲喜交々が丁寧に浮き彫りにされる点だ。二人の交流の過程で、キューブリックは専属運転手の域を遙かに超えて、ライフ・アシスタントとも言うべき様々な領域にまで、エミリオを頼りにするようになる。衝動買いしたポルシェで事故を起こして反省したり、キューブリック家では誰も運転できないベンツの多目的作業車ウニモグを器用に乗りこなす運転手に心からの敬意を表したりと、誰も観たことのない私人キューブリックの姿が浮き彫りになる。メモ魔のキューブリックの偏執的な側面も、エミリオが語ると微笑ましいエピソードになってしまう。

『キューブリックに愛された男』©2016 Kinetica-Lock and Valentine

冒頭で、同一線上の軌道を歩くのではなく、同じ方向を向いた別の道を歩いて行くのが良いと書いたが、まさにエミリオは伴走者として天才に愛され続けた人なのだ。『時計じかけのオレンジ』のイチモツでの出会いから、蝋燭の明かりだけで撮影に挑んだ『バリー・リンドン』(1975年)では膨大な蝋燭の調達を依頼され、ロンドン郊外にベトナムを再現して撮影された『フルメタル・ジャケット』(1987年)ではロケハンをサポート、そして『アイズ ワイド シャット』ではエミリオの出演シーンが用意されたという逸話まで飛びだす。

『キューブリックに愛された男』©2016 Kinetica-Lock and Valentine

自分にはできないこと、運転と日々の暮らしに必要な様々な雑務をこなしてくれたエミリオに、常にリスペクトの心で接したキューブリック。30年に渡る二人の交流から浮かびあがるのは、心温まる奇妙な友情の軌跡である。

“完璧を求める狂人”が宿ったアシスタントに安眠はない

『キューブリックに魅せられた男』(2017年)は、常識人が天才に相まみえたときに、大いなる変調をきたしてしまうことを身をもって体現した男、レオン・ヴィターリ氏を追った作品である。

『キューブリックに魅せられた男』©2017True Studio Media

『2001年宇宙の旅』『時計じかけのオレンジ』に魅せられ、天才監督と仕事をしたいと願っていた若き俳優は、『バリー・リンドン』のオーディションに参加し見事に役を射止める。撮影に胸を踊らせ、俳優として妥協ゼロのキューブリックの現場を体験したレオンは、ここで人生の大きな選択をする。俳優から一転、キューブリック組のアシスタントとして現場の最前線で働き始めるのだ。

初めての現場は、呪われたホテルの40年後をユアン・マクレガー主演で映画化した『ドクター・スリープ』(2019年11月29日より公開)の原点となる伝説的ホラー『シャイニング』だった。ダニー役の子役オーディション、そして選ばれたダニー・ロイドのケアと演技指導を任されたレオンは、たちまち監督の信頼を得る。だが、それは出口のない“悪夢”の始まりだった。

呪われたホテルで徐々に狂気の淵に入っていく父ジャックと、“特別な力”=シャイニングによってすべてを見通していた息子のダニー。この二人の構図は、まさにレオンとキューブリックの関係に符合するのではないか。誰も居るはずのない展望ホテルの住人たちによって、徐々に狂気に取り憑かれていくジャック。レオンの全身に漲っていた若さは、“特別な力”を持つ映画監督との作品を重ねるたびに失われていくのである。

『キューブリックに魅せられた男』©2017True Studio Media

天才が求める“理想”を追い続けた男を“暗黙の呪縛”が蝕んでゆく

天才は、自分が“やりたいこと”と“やらねばならないこと”を見極める力に長けている。自らが手を下すことと、その他の雑務には明確な一線が引かれる。脚本の開発、美術や小道具の調達、キャスティング、そして撮影とポストプロダクションへと続く映画製作の過程は、まさに出口の見えない雑務山積の長いトンネルでの暗中模索となる。映画が完成した後も、劇場での上映マニュアルまでも用意した完璧主義者のキューブリックは、宣伝マーケティングにも目を光らせた。そのすべての雑務がレオンに押し寄せてくる。まさに悪夢の連続である。

『キューブリックに魅せられた男』©2017True Studio Media

全巻の色調チェックをしていた彼は、劇場用にプリントされた膨大なフィルムの5本に1本は、画面にうっすらと光輪が浮かびあがることすらも、キューブリックが嫌うと分かっていた。だから師の期待に応えようと奮闘し続ける。

レオンの中に完璧を求める狂人(敢えて狂人と呼ぶが、理想を求める映像作家を意図している)が宿る。キューブリックの「決して言葉にしない暗黙の呪縛」が、家族との時間も、食事も、睡眠も、すべてを投げ打って、天才が求める理想を追い続けるレオンを蝕み、その風貌を大きく変えていく。

『キューブリックに魅せられた男』©2017True Studio Media

『バリー・リンドン』での出会いから、『シャイニング』『フルメタル・ジャケット』、そして遺作となる『アイズ ワイド シャット』まで、天才の傍らで人生のすべてを捧げたレオン・ヴィターリ。若き風貌が失われ、まるで病人のように狂気の淵に陥ってさえも尚、レオンの目には奇妙な輝きが宿っている。その瞳が見つめ続けたキューブリックの現場を目撃する、希有な機会を逃すべきではない。

文:髙橋直樹

『キューブリックに愛された男』『キューブリックに魅せられた男』は2019年11月1日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国カップリング上映

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