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黒澤明の演出に三船敏郎ブチ切れ? 昭和映画界ウラ話! NHK衛星映画劇場の渡辺支配人と山本晋也トーク

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ライター:#BANGER!!! 編集部
黒澤明の演出に三船敏郎ブチ切れ? 昭和映画界ウラ話! NHK衛星映画劇場の渡辺支配人と山本晋也トーク
NHK衛星映画劇場 出演 渡辺俊雄さん(左)、山本晋也監督(右)

1989年からNHK衛星第2テレビジョンで放送された映画版番組「衛星映画劇場」に“支配人”として出演されていた元NHKアナウンサーの渡辺俊雄さんと山本晋也監督。長らく映画・放送業界に携わってきたお二人ならではの“ツボ”や視点を通して、数々の映画の魅力を紹介してきた番組、それが「衛星映画劇場」だ。

実は、渡辺・山本の両氏は放送作品の編成にも携わっていたとのこと。その知られざる苦労から関係者しか知らない裏話まで、こってり濃厚な映画トークをたっぷり披露していただいたので、余すことなくお届けしたい。まずは気になる、作品選定~編成のお話から……。

「衛星映画劇場」はほぼ、黒澤明の追悼からはじまった

渡辺:「衛星映画劇場」では我々が“観ていない映画”を発掘したかったんですね。編成するにあたって、どんな映画が一番大事かというと、私と監督がいつも言っているのは「観逃した映画ほど、観たい映画はない」というのが一つですね。もう一つは、古い映画を放送すると必ず上層部から「古くさい映画ばっかり並べて……」って言われるけど、「そうじゃないんだ。若い人にとっては古い映画こそが新鮮な宝物なんだ」ということ。そういった視線でいろいろ作品を並べていく。

ただ、放送時にはそれ相応の解説が必要だろうということで、カントクと私で解説をやっていくことになりました。そういえばタイミングにも運命的なものがありましたね、カントク。

山本:そうだね。

渡辺:実は引き受けたのが1998年の夏だったんですが、その年の9月6日に黒澤明さんが88歳で亡くなられたんです。そうすると“世界のクロサワ”ですから、上層部のほうから「特集番組を作れ」と。しかも亡くなってから2週間以内に3時間の特別番組を作れっていうんで、優秀な人材を集めて2週間で突貫工事でやって。

それから、せっかくなら黒澤さんが残した30本を全部放送しようと、カントクと二人で一番贅沢な見方を考えたんです。私は年齢的に団塊の世代ですけれども、最初に観たのは『どですかでん』(1970年)だったんですね。だけど1作目の『姿三四郎』(1943年)とか、それ以前の作品は映画館で流してくれないわけですよ。当時はまだレンタルビデオ屋もないから、借りてきて観るわけにもいかない。というので、どうせなら一番贅沢な見方として『姿三四郎』から最後の『まあだだよ』(1993年)まで順番に観るという編成にして、それを解説番組付きで放送しました。

黒澤監督のプロデューサー、本木荘二郎は“サムライ”だった

山本:黒澤監督をあそこまでの存在にしたプロデューサーで、本木荘二郎っていう方がいるんですけどね。『七人の侍』(1954年)のオープニングで最初に「東宝」のマークが出た次に「製作 本木荘二郎」って出てきます。このおいちゃんは東宝を辞めてから、あろうことかピンク映画の監督になっちゃったんです。それで、僕はけっこう仲が良くて。本木荘二郎から黒澤の話を聞いてますけど、それはもう大変だったみたいですよ。

渡辺:『生きる』(1952年)の冒頭でナレーションをやってるのは本木荘二郎さんですよね。あの方、元々はNHKのアナウンサーだったんです。私の先輩だったんですよ。それで、なぜか映画のプロデューサーになって、ピンク映画の監督までやって。波乱万丈の人生を歩んだ方ですね。

山本:良くも悪くも黒澤さんのことをよく知ってるんだね。本木さんに聞いて一番驚いたのは、『醉いどれ天使』(1948年)で世田谷かどこかの電車が通ってる、ちょっとはずれの広場に池が出てくるんですけど。何を作るよりも前に、黒澤さんが「本木、お前ここに池作れるか?」って、それが最初ですって。

渡辺:ドブ池みたいな、不潔な感じの。

山本:メタンガスが沸いてくるようなね。ああいうのがボコボコ沸いて出てくる演出は簡単なんですよ。ホース通して口で吹けばいいんだけど。この場所に池を作れるか? って、これが『酔いどれ天使』の最初なんですって。「クロさん、できるよ。池ぐらい作れるよ」って本木さんは返事して。そういうプロデューサーが今はいないよな。“サムライ”なんだよな。

酔っぱらった三船さんが「死んじまえ! 黒澤!」って叫んだ(笑)

山本:『蜘蛛巣城』(1957年)で三船敏郎がバンバン矢を射られて、最後は首に刺さって壮絶な死に方するでしょ。あれは弓道部の学生を呼んできて、三船敏郎に向かって本当に30本ぐらいバババーッって射ったんだよね。さすがに三船も「もし間違えて刺さったらどうすんだ!」って怒っちゃったんだよ。

渡辺:家が近かったんで、酔っぱらった三船さんが黒澤さんの家の近くに行って「死んじまえ! 黒澤!」って叫んだという有名な話がありますね。
山本:いくら弓道部を連れてきてもね、本当に矢を射るっていうんだから、もし間違ったら大変ですよ。

黒澤映画『わが青春に悔なし』の原節子がいい!

渡辺:我々は30本の黒澤映画を分析して、よくカントクと言っていたのが、医師国家試験とか医学部に入る学生に見せるべき黒澤映画3本、『酔いどれ天使』と『静かなる決闘』(1949年)と『赤ひげ』(1965年)。これを我々は“医師三部作”って言ってるんですけど。これだけは観たうえで医師国家試験に通すべきだと。つまり医者のあるべき姿を映している、そういう分け方もある。あとは“貧乏三部作”とかね。いろいろあるんです。

山本:黒澤監督の『わが青春に悔なし』(1946年)なんかは時代を感じて、悲壮的な部分がだいぶ入ってきてる。

渡辺:大学教授の令嬢がだんだん思想に目覚めていく。こういう映画は若干説明が必要だというので、放送時にレビューをつけましたね。

山本タイトルがいいよね。『わが青春に悔なし』なんてね。

渡辺青春なんてのは本来は悔いばっかりですからね(笑)。主演の原節子の熱演がいいですね。

山本こんな原節子、観たことないですよ。

渡辺:小津安二郎さんの映画とか、その他の映画の原節子さんをご存知の方にはちょっと違う風に見えますね。原節子さんはこのとき26歳で、この後、吉村公三郎監督の『安城家の舞踏會』(1947年)とか今井正監督の『青い山脈』(1949年)、小津監督の『晩春』(1949年)に出た。あれもある意味激しい女性だけど、内に秘めた形の激しさでしたね。

山本とにかく笑わない。苦悩するとか、怒りが充満しているとか、魂がもぬけの殻になっちゃったとか、そういう顔の原節子って、いいですね。当時の俳優はセリフの滑舌と音声が非常にいいですよ。原節子さんの声の高さとマイクの通り。この頃の女優は録音部からNG出されたら、もうどうしようもないからね。
僕は最近のテレビドラマを聞いてて「歳で耳がおかしくなったのかな」と思っちゃった。ボリューム上げないと何をしゃべってるか分からないシーンってありません? あれはね、映画の世界で育った僕らなんかにとっては完全にNGのカットなんですよ。だけど、今はああいう風に“ぼそぼそ”ってしゃべってる方が芝居がうまく見えて、自然だって言われてるんです。

渡辺:原さんの絶頂期は多分、私が生まれた1949年ごろ。今から70年前のこの年は凄いんですよ。小津さんの『晩春』があって、それから今井正さんの『青い山脈』があって、木下恵介さんの『お嬢さん乾杯!』(1949年)。多分これが日本最高のラブコメディなんじゃないですかね。

山本:でしょうねぇ。

『男はつらいよ』の山田洋次監督は一番好きなマドンナを絶対に教えてくれなかった(笑)

渡辺:カントクと私で解説していて、一番反応がよかったのは何といっても『男はつらいよ』シリーズ(1969年~)ですね。全48作に二人の解説の特番をつけて、丁寧に放送しましたね。
2019年の暮れに公開される第50作目の新作の完成が近づいてますので、12月3日に山田洋二監督とNHKラジオの私の番組で対談をすることになっているんですけれども。

山本:あれを全部観る努力というか、それは努力じゃないんです。好きでやってるんですから、二人とも(笑)。

渡辺:特番には浅丘ルリ子さんや倍賞千恵子さんとか、みなさん来てくださって。一番驚いたのが、山田洋次さんが我々の番組を全部見ていて、いろいろ感想を送ってきてね、「今の言い方は違う」とか。最終回は自ら出てきて、解説をしてくれたりして。

山本:あの方が凄いのは、「マドンナで誰が一番好きですか?」って聞いても最後まで言わなかったことね(笑)。

渡辺山田さんは好きな女優はもの凄く重用しますよね。最近観てると、蒼井優さんと黒木華さんが大好きですね。ああいう、ちょっと不思議な色気がある人が好きで、少し前で言うと田中裕子さんとかも好きでしたね。

山本:そうだ、思い出した。その特番をはじめる前に寅さん(渥美清)のお墓へ「やらせてもらいます」ってお参りしてね。その時に何の花がいいかなぁって思って。それで花屋で若い店員さんに聞いたの、「寅さんの墓石には何の花がいいかな?」って。そしたら「それはひまわりでしょう」って。

渡辺:けっこう大事なことだと思うんですよね。黒澤さんの時も鎌倉のお寺に行ったり、せっかく大事な映画を放送するなら、それなりの覚悟で編成するとかね。

『哀愁』『慕情』『望郷』……原題と全然違う、おもしろい邦題

渡辺:映画の編成は題名を切り口にやってもおもしろいですね。今は情報が早く入ってくるから原題そのままですけど。

山本:全部カタカナですよね。

渡辺:例えば『哀愁』(1940年)。原題は『WATERLOO BRIDGE』ですね。

山本:もとの意味は『ウォタルウ橋』(1931年)でね。

渡辺:それから似た作品で『慕情』(1955年)がありますね。

山本:これは音楽も有名で。

渡辺:『慕情』の原題は、『LOVE IS A MANY-SPLENDORED THING』。さすがに当時、そのままカナ表記すると長いので、これを『慕情』としたんですね。それから『望郷』(1937年)は、もともと『PEPE-LE-MOKO』。

山本:ジャン・ギャバンの有名な作品ですね。

渡辺:『哀愁』とか『慕情』『望郷』って、題名としてもなかなかいいですね。

山本:この時代の日本語タイトルのつけ方はおもしろいね。

渡辺:ただ、わからなくなってくるんですよね。『旅情』(1955年)とかになってくると、もともとは『SUMMERTIME』ですけれども、だんだん原題が分からなくなってきちゃう。これを外国の人、特にアメリカ人と話そうとすると、原題で覚えていないと伝わらないですからね。『旅情』をそのまま直訳しても通じない。『SEPTEMBER AFFAIR』は日本では『旅愁』(1950年)になるんですね。『旅愁』と『旅情』(笑)。

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