「これが男の生き方」― ハードボイルドよ、永遠に。北方謙三 原作『影に抱かれて眠れ』【惹句師・関根忠郎の映画一刀両断】

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ライター:関根忠郎
「これが男の生き方」― ハードボイルドよ、永遠に。北方謙三 原作『影に抱かれて眠れ』【惹句師・関根忠郎の映画一刀両断】
『影に抱かれて眠れ』© BUGSY

 

待望久しきハードボイルド映画『影に抱かれて眠れ』登場!

近年、いわゆるハードボイルド・ピクチャーは、日本映画の絶滅危惧種ジャンルに瀕しているものと、殆んど諦めかけていた折、喜ばしいことにこの種の流れを汲む映画が完成し2019年9月6日(金)に待望の公開を迎える。それが本作『影を抱いて眠れ』(原作・北方謙三/監督・和泉聖治)である。私は子供の頃、1940年代の終りから1950年代のアメリカ映画に没頭し、特にアクション系のダークなギャング映画や刑事(探偵)ドラマを夢中で追いかけた時期があった。

『影に抱かれて眠れ』© BUGSY

当時からこうしたジャンルの映画を総称して、我々は《ハードボイルドもの》と呼んだりしていたが、当然、長い歴史を持つ文学の世界では、映画より先んじて、《ハードボイルド小説》というジャンルが確立していた。小説にせよ映画にせよ、この厳しく自己を律する硬質な男の世界は、文学的にも映画的にも多くのファンを魅了していた時代が、かつては確かにあった。殊に自己を取り巻く状況を冷徹に捉えて、《生死(しょうじ)の覚悟》を秘めながら、この世の修羅を生きる男のハードでクールな意志と行動と感性の切れ味をスクリーンの中に見るにつけ、我々世代の多くはその度に感嘆の声を挙げていたものだ。「これが男の生き方よ」なんて呟きながら、地下のバーでウイスキーのグラスを傾けた昔日が懐かしい。

『影に抱かれて眠れ』© BUGSY

だが、今やこうした硬派のメンタリティによるアウトロー的映画ジャンルは見る影もなく衰退して、近年は中高年男性層の観客の存在感が、映画史上最も薄らいでしまった時代のように思う。もはやハードボイルドは死語となり遂せてしまったのか。男の尊厳を賭けたヒーローたちは、遠い過去に吸い込まれてしまっていったのか。所詮、生きる意味などない虚無の世界で、己(おのれ)を律する信条と内なる矜持に則して寡黙に生を意味づけたヒーローたちは、いったい何処にフェイドアウトしてしまったのか。過ぎ去った時代を呼び戻すことができぬ無念を抱えていた折、そぞろ心を掻き立てられた一篇が登場した。本作は港ヨコハマ一帯の幾つかの街を舞台に、削れるだけ削った端的なセリフによるスタイリッシュな劇的展開を久々に堪能させてくれる硬派の映画に仕上がった。

『影に抱かれて眠れ』© BUGSY

ベテラン・スタッフと異色演技陣 ― 内なる《ハードボイルド》の火影を追って

映画『影を抱いて眠れ』は、私の見るところ、そうした海外のハードボイルド映画の洗礼を、かつて若い頃に受けたと思しき中高年スタッフの結集によって現実化したのではないかと思う。原作が日本のハードボイルド小説の大御所・北方謙三、監督が「相棒」シリーズ(2000年~)の大ベテラン・和泉聖治、脚本の小澤和義、プロデューサーが俳優として知られる中野英雄といった中高年メインスタッフ。

『影に抱かれて眠れ』© BUGSY

演技陣は主演の加藤雅也をはじめ、AK-69、松本利夫、カトウシンスケ、若旦那、火野正平ら男優たち。女優陣は中村ゆり、熊切あさ美、余貴美子といった異色豪華版。派手さは極力抑えて、まさに曲者揃いのキャスティングが成された。これで映画の成功は6、7割約束されたようなものだ。物語の闇の中で静謐で強靭な役者たちの乱反射が大いに楽しめる。

『影に抱かれて眠れ』© BUGSY

ヨコハマで酒場を営む画家が、ある事件から街の闇に呑まれていく

さて、肝心の物語だ。今回は映画化された作品を先に見て、原作小説を追いかけるようにして読み終え、さまざまな感慨を得た。ここで大まかなストーリー・テリングをしておくと、主人公・硲(はざま)冬樹(加藤雅也)は、ヨコハマの街にバーを2、3軒持っていて、毎夜、自転車で見廻りをしながら、自身もしたたかに酔い痴れるという日々を続けている。その一方、長年の画業を内外に知られた抽象画家でもある。然し彼は画商(余貴美子)と絵画を取引することに全く関心がないばかりか、自身をメディアなどに売り出すことさえ否定的な男だ(何でも商品化してしまう、貪欲な現代社会への痛烈な批評がここにある)。

『影に抱かれて眠れ』© BUGSY

そんな冬樹の許に、ある日、傷を負った若者・信治(カトウシンスケ)が転がり込んでくる。信治は以前、冬樹のバーにいたことのある店員。冬樹を「親父さん」と呼ぶほどに心酔していたが、裏稼業の組織に売春を強要され翻弄される少女たちを救い出すNPO慈善団体の活動に身を投じていた。それがもとでヤクザ組織の暴力で深傷を負い、冬樹に助けを求めてきたのだ。だが、これが端緒となって、冬樹とヤクザ組織との歓迎されざる危険な対立項となっていく。以後、冬樹は右腕とするバーテンダー・辻村(松本利夫)と共に、ヤクザ組織とのデンジャラスな一触即発的交渉にのめり込んで行く。

『影に抱かれて眠れ』© BUGSY

そうした抗争の一方、冬樹の人間として、画家としての存在に関する大きなサイドストーリーが並行して描かれる。冬樹が十代で出場した空手選手権大会の折、電撃に打たれたように一目惚れした若い女医・永井響子(中村ゆり)との30年に及ぶ、男女関係に踏み込むことのない大人の純愛。癌により余命短い人妻・響子との、何とも不思議な恋愛の間、自身が生きた証として絵を描いて欲しいと切願する。この切ないほどの響子の希求に、冬樹は特別な絵を描くことを決する。男と女の節度と内に秘めた炎の想いが、静かに強烈に浮かび上がるシーンだ。これも淡々としたハードボイルド描写の内に捉えていくので、これを見抜く観客の想像力に負いたいところだ。

『影に抱かれて眠れ』© BUGSY

ハードボイルド的とは、何もアクション的ボルテージの高い部分、例えば劇烈な暴力的抗争シーンにあるわけでなく、人間情念の奥底に秘めた高揚を掬い取る描写の内に秘められているのだ。観客もまたハードに訓練されなければならない。

原作のタイトルは「抱影」、映画化タイトルは『影に抱かれて眠れ』

さて、ここで北方謙三の原作と映画化作品との相違点に目を向けてみよう。原作小説「抱影」は文庫本(集英社文庫)で約441ページもある長篇だ。ひとつの原作から映画化への作業に移るとき、無論、作るべき映画の容量(内容)は製作コストに左右されるのが当然で、その際、原作のどの部分を切り捨て、どの部分を追いつめて映画の目指す主題を彫り上げていくのかが製作スタッフの範疇となる。

『影に抱かれて眠れ』© BUGSY

私見だが、北方原作は、主人公・冬樹の画家としての描写により比重がかけられて、ある種、街なかに沈潜する一人の芸術家を描いた小説なのかと思う。映画化に際して、この部分は骨子のみ残して潔く割愛。冬樹の暴力団との息詰まる交渉と暴力対決のセッションに重きを置いた。映画の2時間弱の上映時間を考慮すれば、これは当然の選択だ。

『影に抱かれて眠れ』© BUGSY

題名に関しても、原作の「抱影」は文学的にしてハイブローな造語であろうか、映画ファンには馴染みにくいのは明らかで、映画の題名の方はフランス製のフィルム・ノワール調に『影に抱かれて眠れ』として、幾分リリシズム乃至はロマンチシズムの香りを添えたのだと思う。これも《和製》ハードボイルドの宿命と言うべきか。然しながら妙なバタ臭さを避けているのが賢明だ。欧米の真似ごとを可能な限り拒絶するのが日本独自のハードボイルドであろうと思う。

『影に抱かれて眠れ』© BUGSY

今、“ハードボイルド”とは何か?

開巻から終幕まで、一糸乱れぬ映画の美的諧調。近代的ビル街よりも、ヨコハマの燻ぶった路地と路地を結ぶカメラワークの魅力。そこに蠢く男と女、悪のシノギに身を晒す人間たちの営為を描いて、ヨコハマの昼と夜に陰影深く一本の映画を撮り上げた。ハードボイルド・ファンの一人として、この公開は並外れて嬉しい。が、然し ― と、ここまで書いてきて、しきりに思う。今、ハードボイルドとは何か?

『影に抱かれて眠れ』© BUGSY

かつてそれは、人間と人間の抜き差しならない関わり、生々しい感情の遣り取りの、手ざわりの世界で生み出されたメンタリティだった。上限知らずのハイテクノロジーによるAI(人工知能)と機能的に人間に限りなく接近するロボットの進出による、明らかな人間社会の変貌の渦中で、時々刻々飽くことなく新たなハードボイルド的知性と思想もまた、よりしぶとく革新していかねばならないだろう。

『影に抱かれて眠れ』© BUGSY

平和しか知らない若い世代に戦争の本質(悲惨)を説く徒労にも似た気分に陥るかもしれないが、めげることなく根源的ハードボイルド精神を伝え、追求し続けていくドン・キホーテ的創造力が必要不可欠。私は、これからもパワフルに応援していきたいと思う。

『影に抱かれて眠れ』© BUGSY

文:関根忠郎

『影に抱かれて眠れ』は2019年9月6日(金)より全国ロードショー

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『影に抱かれて眠れ』

横浜・野毛で酒場を営む冬樹のもとに、ある日冬樹を慕う男が傷を負って転がり込んできた。この事件から冬樹は男たちの抗争に巻き込まれていく。一方、独身の冬樹は長年愛してきた女性の余命を知ってしまう。仲間を守るため、愛を貫くため、冬樹が下した決断とは……?

制作年: 2019
監督:
出演:
  • BANGER!!!
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