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「“切断”への抵抗は、慣れれば消える」衝撃の“医療革命”描く『廃用身』 原作・久坂部羊×監督・𠮷田光希インタビュー

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「“切断”への抵抗は、慣れれば消える」衝撃の“医療革命”描く『廃用身』 原作・久坂部羊×監督・𠮷田光希インタビュー
『廃用身』©2025 N.R.E.

「切る」ことは、救うことか――
衝撃作『廃用身』原作者と監督が語る

麻痺した四肢を患者の同意のもとで切除し、心身の回復を図る……多くの人は、ギョっとするかもしれない。

しかし、落ち着いて考えてみると、私たちは”健常”という状態を、無条件の正解として疑わずにいないだろうか。あるべき腕や足がない状態は、異質に映るかもしれない。でも、機能していない部位を取り除いただけと考えれば、さほどおかしな話ではないように思えてくる。役に立っていない部位を切って、何が問題なのか?

かつて外科手術は忌諱されていた。中世まで外科は医師ではなく床屋の仕事で、身体を切ることへの宗教的忌避もあった。日本でも「身体髪膚、之を父母に受く、敢えて毀傷せざるは孝の始めなり」という儒教的身体観が根強く、切開・切断には強い抵抗があったのだ。つまり今、私たちが感じる違和感も、見慣れない行為への反射に過ぎないのかもしれない。

映画『廃用身』は、麻痺した四肢を切り落とす医療をAケアと呼び、多くの患者とその家族を回復させ、そして絶望させた医師の物語だ。「映画化不可能」と言われた原作に挑んだ𠮷田光希監督と、医師としての現場経験をもとに本作を書き上げた久坂部羊先生に、この作品が投げかける問いの本質を聞いた。

『廃用身』©2025 N.R.E.

「“医者なら当然こういうことを考える”と伝えたい気持ちが強かった」

――映画を観て、最初に感じたのは「嫌悪」ではなく「わかる」という感覚でした。動かない手足が邪魔だという気持ちはなんとなく理解できる。ただ、それを切り落とすとなると、どこかで違和感が出てくる。本作は衝撃を前提に作られた作品なのか、それともじわじわとした違和感を重視しているのか――どちらなのでしょう。

久坂部羊(以下、久坂部):書いている時は、そういったことは何も考えていなかったですね。自分の経験があったので――作中のクリニックのような現場で実際に働いていて、高齢者の方の話を直に聞いていました。それをもとに書いたので、それ以外のことは考えなかったです。デビュー作ですし(笑)、読者をイメージするよりも、とにかく無我夢中で書きました。「医者なら当然こういうことを考える」ということを伝えたい気持ちが強かったですね。

――監督は映像化にあたって、欠損描写をどう扱うかが大きな課題だったのではないかと思います。

𠮷田光希監督(以下、𠮷田):欠損しているものを「インパクトの材料」として使いたくない、というのがまずありました。事故で失った人、生まれつきの人、戦争で失った人――そういった方々の存在があるなかで、映像の衝撃として消費するのは失礼にあたる。それはすごく気にしました。

だから、カット割りで欠損部位をわざわざ「見せる」ことはしないようにした。カット割りって強い表現なんですよ。「これを見てください」という映画の意志になる。それがインパクトになりかねないので、なるべくカメラが動き続けるひと続きの中で、自然と見えてくるようにした。人物から入って、会話の流れの中で切断された部位も視野に入ってくる――そういう撮影方法をとっています。

『廃用身』©2025 N.R.E.

「プロセスをしっかり描かないと、サイコな切断医師のエンターテイメントになりかねない」

——久坂部先生は、「切除」という行為を通して何を伝えたかったのでしょうか。

久坂部:既存の医療ドラマに対する反発ですよね。医療を描く作品って、病が全快するハッピーエンドか、さもなければマッドサイエンティストか、どちらかが多い。でもその「間」がある。救いでもないし、いい話でもないし、でもマッドでもない――医療のある現実の側面を書きたかったんです。

医学は科学ですが、医療は必ずしも科学のセオリー通りにはいかない。善意で一生懸命やっても逆効果になることは必ずある。それを一般の人に理解してもらうことが、医療者にとっても患者にとってもいいことにつながる。輸血や臓器移植だって、最初は倫理的・感情的な抵抗があったはずでしょう。切断も、慣れていないから抵抗があるだけで、慣れれば消える。単純に、慣れの問題なんですよ。

『廃用身』©2025 N.R.E.

――六平直政さんのエピソードが特に印象的でした。演出上、気を使ったところはありましたか。

𠮷田:六平さん演じる岩上武一が一人目の患者なので、最初の切断に至るプロセスは丁寧に描かなければいけないと思っていました。

最初の切断の発端は、褥瘡(じょくそう)からの感染症で鬼気迫るような状態まで重症化していること。ちょっと狂った医師が人体改造しまくるぞ、という話ではないので、まずその人を救うための医療行為として漆原が切断を行い、そこから本人がポジティブな変化を感じていく――そこまでのプロセスをしっかり描かないと、サイコな切断医師のエンターテイメントになりかねない。出来事よりもプロセスを描くのが映画だと思っていて、特にこの原作の映画化にあたってはそこを丁寧にやりたかったですね。

また、好きな小説なので大きく省いたエピソードはほとんどなくて、なるべくくまなく入れたかった。ただ全部やると3~4時間になってしまい、そこはプロデューサーに許されないので(笑)、構成を考えながら、という感じでしたね。

『廃用身』©2025 N.R.E.

「思いがけない状況が出てきた中で、自分の善意に自信が持てなくなる」

——漆原(染谷将太)というキャラクターが、途中から何を考えているのかわからなくなる感覚がありました。

𠮷田:漆原は究極的に患者のことだけを考えている、スタートはそこなんです。彼のAケアが非常に良い効果をもたらしているなかで、確かに少し高揚している気配は出ていると思うんですけど。ただ、狂っているような描写には絶対にしないようにしていました。

久坂部:監督がちゃんと演出してくださっていますが、漆原は善意で患者のためを思ってやって、一旦は成功する。でも思いがけない状況が出てきた中で、自分の善意に自信が持てなくなる。むしろ害の方が大きかったかもしれない、という茫然自失に陥っていくんですよね。最初から悪いことをしようとした人間が反省するのは普通の話だけれど、良いことをしようとしていたのがおかしくなって、自分を見失ってしまう――そこが描きたかった。

『廃用身』©2025 N.R.E.

——作中には、切断に対して「恐ろしい気がする、それだけ」としか言えない看護師や、感情的に糾弾するマスコミのキャラクターが出てきます。ああいう人物はストーリー上の「悪役」として機能していますが、必然性があったのでしょうか。

𠮷田:切断という現実に対して、多くの人が感じる感情を代表させたんですよね。見るのが辛いとか、介護を軽くするためだと分かっていても、それでも嫌だという人は多くいると思う。だからああいう人物は入れなければいけなかった。彼女が言う「恐ろしい気がする、それだけ」――それ以上は言えない、でもなんとなく嫌だ――という感情は、一般の人の正直な反応だと思っています。

『廃用身』©2025 N.R.E.

「答えを一つに絞らずにさまざまな行く末を描きたかった」

――お二人のお話を聞きながら、切断という行為への違和感は医療の話である前に、当事者性の問題なのかもしれないと感じました。監督ご自身は、その違和感を実感したことはありますか。

𠮷田:以前、別のインタビューで聞かれたんですが、自分や肉親が“切断しなければならない”となった時に、やっぱり受け入れられない気はする、と答えたんです。

久坂部:その時に私が「それは麻痺した気持ちを知らないからですよ」と申し上げたんですよね。

𠮷田:そこでハッとしてしまって。確かに当事者になれていないから、その辛さを知らない。もしかしたら当事者が望むことかもしれない、と。

久坂部:違和感は慣れていないからですよ、単純に。慣れれば消えます。今まであまりないから抵抗があるだけで、数が増えれば。

『廃用身』©2025 N.R.E.

――「切る」という行為には、あとからじわじわ効いてくる何かがある気がします。人間関係でも、嫌になって切り捨てた後に後悔が来ることがある。そういう感覚と似ているのかなと思ったんですが。

久坂部:何かを選ぶということは、それ以外を捨てるということなんですよ。成熟した人間はそこで悩まない。未熟な人は、選んだけどこっちも欲しい、となって苦しむ。それは単なる未熟性の話であって、成熟すれば「選んだ以上、捨てる」は当たり前になる。失くしたものへの未練や後悔はあるでしょうが、そこは理性で抑えられると思います。

𠮷田:後戻りのできない状況が、この映画の核心にあると思っています。Aケアという医療行為も、物語そのものも、戻れない。そこを決断していく人たちだから――元気に過ごしている人も、切りたくなかったという人も、声は出せないけど回復しそうな人も、答えを一つに絞らずにさまざまな行く末を描きたかった。

『廃用身』©2025 N.R.E.

「“みんながやれば怖くない”ではないけれど――この映画がその一助になれば」

――ラストシーンには、奇妙な「変化の兆し」がありました。間に合わなかった悲しさと、それでも……という希望が同居しているような。

𠮷田:映画の終わりに、そういうわずかな変化や揺らぎを感じてもらえたら、という思いはありました。同時に、もし何かがもう少し早く届いていれば、最悪の結果には至らなかったかもしれない、そのギリギリの「間に合わなさ」にある悲しみは、原作にもあったものですし、映画でも大事にしたかった部分です。

『廃用身』©2025 N.R.E.

――最後に、この映画をどう受け取ってほしいかを聞かせてください。

𠮷田:社会的メッセージを考える……という前に、まず一つの映画体験として観てほしい。作劇、構成、音も含めて、劇場で体験することの面白さをまず提示したい。予告編や断片だけで“とんでもない映画”と批判されうる作品だということは、作る前から分かっていました。それでも、こちらの「正しさ」を押しつけるつもりはないんです。どう思うかも含めての映画体験だと思っているので、すごく自由に感じてもらいたい。

久坂部:やっぱり医療の、ある現実の側面を知ってほしいということですね。骨肉腫でも糖尿病の壊死でも、手足を切る治療法は現実にある。人工肛門だって、初めて見た人は驚くけれど、直腸がんの治療として行われているし、介護の場では切実に求められている。

「みんながやれば怖くない」ではないけれど、慣れと情報の問題でもある。この映画がその一助になれば、と思っています。

『廃用身』©2025 N.R.E.

取材・文:氏家譲寿(ナマニク)

『廃用身』は5月15日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国公開

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『廃用身』

ある町のデイケア「異人坂クリニック」に通うお年寄りの間で、漆原院長(染谷将太)が考案した“画期的な”治療が密かに広まっている。究極のコスパの良い介護を目指すその医療行為は、<廃用身」>(麻痺などにより、回復見込みがない手足のこと)をめぐる、従来の常識を覆すものだという。その結果、「身体も心も軽くなった」、「厳しい性格が柔らかくなった」などと予想外の“好ましい副作用”が現れたという。噂を聞きつけた編集者・矢倉は、老齢期医療に革命を起こす可能性を感じ取り、漆原に本の出版を持ちかける。しかしやがて、デイケアに関するとある内部告発が週刊誌に流出。さらに、患者宅で起きた衝撃の事件をきっかけに、すべてが暗転していくーー。

原作:久坂部羊「廃用身」(幻冬舎文庫)
監督・脚本:𠮷田光希 
出演:染谷将太 北村有起哉 瀧内公美 廣末哲万 中村映里子 中井友望 吉岡睦雄 六平直政

制作年: 2025