「沈没」か「鼓動」か
原題は“Subemergence”。「潜水」「沈没」という意味だから、邦題の「鼓動」はおかしいじゃないか、と憤る人がいるかもしれない。だが、ギリギリの状態に置かれた時に人は自分の鼓動を意識する。愛している人が無事かどうか、連絡がつかない時に鼓動を感じる。自分を案じている人のことを思う時に鼓動を感じる。これは、その鼓動を感じ続ける作品である。
ノルマンディーの海辺の居心地良さそうなこぢんまりしたホテルで男と女が出会う。この海岸はノルマンディー上陸作戦で 、連合軍とドイツ軍合わせて40万人以上が死傷した地である。なぜヴェンダース監督が男と女が瞬時に恋に落ち、互いが運命の人だと知る舞台としてこの地を選んだのかは、本人に聞くしかないが、二人が歩く浜辺にはドイツ軍が築いたコンクリートのトーチカの残骸が突き刺さり、二人の恋とのコントラストが異様である。
亡霊が浜辺を埋め尽くしていると怖がってもおかしくないが、恋から愛への変化の速度は亡霊が邪魔をする隙を与えない。この恋愛の深度にも男と女は強い鼓動を感じていたはず。
信念と死と
女は海洋生物数学者で、深海熱水噴出口からアミノ酸が生成され、生物がそこから誕生したことを証明しようとしている。人類誕生の神秘を明らかにする信念に揺らぎはない。彼女自ら潜水艇に乗って、再び会うことに疑いを抱かない恋人と別れた後、連絡が取れないことに心乱されながらも、深海へと赴く。潜水艇はほんの小さな亀裂が入っただけで、酸素が失われる構造であるから死と隣り合わせである。
男は水道事業でケニアに向かうと話すが、実のところMI6の諜報員で、南ソマリアに潜入しイスラム過激派のテロを防ぐ任務を帯びている。しかし、南ソマリアに到着するなり、イスラム過激派兵士に拘束されてしまう。苛烈な尋問を受けるが、口を割らない。ソマリア奥地に連行され、脱出のチャンスはもはや皆無。「007」的展開を期待すると裏切られる。
男を演じるのは、いかにもスコットランド人のマッチョという印象のジェームズ・マカヴォイ。女を演じるのはアリシア・ヴィキャンデル。『光をくれた人』(2016年)ですべてのおじさんに希望を与えてくれた美しい人。このキャスティングでほぼ形は見えたはず。
レイドバックしたヴィム・ヴェンダース
ヴェンダースはイスラム過激派兵士を典型的な狂信者にはしていない。善悪については語らず、兵士たちも宗教的信念に従っていることを丁寧に描いている。イスラム過激派が善だと言えるはずもないが、彼らがなぜテロに命を賭けるしかないとまで思い詰めたのか、欧米の諜報機関が中東、アフリカのイスラム圏で何をしてきたのかについても思いを巡らせざるを得ない。
信念に殉ずることを厭わない人間だけを登場させるこの作品は、極端な状況を設定しつつも強烈な恋愛映画でもある。両者が生死の狭間に立つような状況に置かれつつも、ひと時たりとも互いのことを忘れないような突然の出会いに身を任せる姿は、息苦しくも美しい。ヴェンダースがこういう恋愛映画を撮るとは、ある意味驚きであるが、その展開は直球でありながら、途方もなく険しい。
J-WAVEで放送しているおじさん二人のユルユル番組<BKBK>で私と一緒にナビゲーターをしている原カントくんに「ヴェンダースはお好き?」と聞いてみたら、「あんまり好きとかそういうんじゃないですけど、『パリ、テキサス』(1984年)のポスターを部屋に貼っとくと、イカした男って感じですよね。ヴェンダースが好きって言っとくと、とりあえずモテそうじゃないですか」的な球を投げ返してきた。うまいことを言うなと感心した。私がモテた記憶はないが、原カントくんはきっとモテたのだと思う。
しかし、歳をとったヴェンダースはカッコをつけずに、ややこしいながらもレイドバックした恋愛映画をとった。一回り年下の私は素直に嬉しかった。エリック・クラプトンが突然1974年にアルバム「461 オーシャン・ブールヴァード」をリリースした時にちょっと似ています。
文:大倉眞一郎
『世界の涯ての鼓動』は2019年8月2日(金)より全国順次ロードショー
『世界の涯ての鼓動』
ノルマンディーの海辺に佇むホテルで出会い、わずか5日間で情熱的な恋におちたダニーとジェームズは互いに生涯の相手だと気付く。だが、生物数学者のダニーには深海での調査が、MI-6諜報員であるジェームズには南ソマリアで任務が待っていた。ふたりはこの極限の死地を抜け出し、最愛の人を再びその胸に抱きしめることができるのか?
制作年: | 2017 |
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監督: | |
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