「鑑賞後の気分は最低」なのに傑作!少女の心の傷を描き出す『MELT メルト』濃厚レビュー&インタビュー
映画『MELT メルト』が突きつける「語ること」の暴力と救済
心の傷は外から見ることができない。 もし見ることができたなら、その深さや大きさは一目瞭然だろう。だが、それは叶わない。 それを“診る”ために精神医学があるのだろうが、本当の意味での心の傷の程度は、本人にしか分からない。いや、もしかすると本人ですら分からないかもしれない。
だから人は、嫌な思い出や人間関係を忘れようとする。忘れることで、自分の心を守っているのだ。 しかし、人は思い出してしまう。あの日、あの時に負った、心の傷を。 7月25日(金)より公開の映画『MELT メルト』(監督:フィーラ・バーテンス)は、そんな“思い出してしまった人”の物語である。
『MELT メルト』©Savage Film – PRPL – Versus Production-2023
厄災をもたらした“謎かけ”とは
エヴァはカメラマンの助手として働いている。幸せそうな人々を撮る仕事は賑やかだが、彼女の生活は空虚だ。 友人も恋人もおらず、両親との関係は冷え切っている。唯一の理解者だった妹もパートナーを見つけ、距離ができてしまった。
そんな彼女の元に、ある日メッセージが届く。“幼い日に事故死した少年・ヤンの追悼式を行う”という知らせだ。 それは、彼女に“あの夏”の記憶を呼び起こさせる。アル中の母、癇癪持ちの父に翻弄される生活だったが、 それでも、幼なじみのティムやローレンスとふざけていれば、日々はどうにか楽しかった。 だが、彼らの“悪ふざけ”を唯一止めていたティムの兄・ヤンが死んだことで、三人の関係は少しずつ軋み始める。
『MELT メルト』©Savage Film – PRPL – Versus Production-2023
折しも13歳、思春期の只中。彼らが考案したのは、「女の子に“謎かけ”を出し、間違えるたびに服を脱がせていく」というゲームだった。 その問題のひとつは、エヴァの父がネットで見つけてきたものだ。
「何もない部屋で男が首を吊っている。足元には水たまりがある。どうやって吊った?」
答えは「氷の上に立っていた」――こんな謎かけに答えられる女の子はそういない。そしてこの遊びは、エヴァに取り返しのつかない災厄をもたらすことになる。
迷いながらも追悼式への参加を決めたエヴァは、自宅の冷凍庫で、静かに氷を作り始める。それは、語られることのなかった記憶を“語らせる”ための準備だった。
『MELT メルト』©Savage Film – PRPL – Versus Production-2023
「逃避」「無関心」という加害
記憶とは、必ずしも整理できるものではない。思い出すたびに疼く傷があり、その痛みとどう共存するかは誰にも決められない。だが、あまりに深い傷は、癒す/癒されるという語りそのものを拒む。劇中、エヴァの母はこう言う。
「私たちは傷つきやすい。たまに発散することが必要なの。それに耐えられない人がいるならそれは、その人の問題。そのままでいい」
エヴァの母親は、酒に逃げた。「自分は傷ついている。だから他人に迷惑をかけても仕方がない」という態度は、被害者を装った加害そのものだ。痛みを免罪符にして他人を踏みつける――それは誰もが一度は内面に抱える、もっとも醜い自己中心性だ。
『MELT メルト』©Savage Film – PRPL – Versus Production-2023
その構図は、エヴァにも受け継がれている。彼女は語らない。癒やされようともしない。ただ黙って、復讐の準備を進める。冷凍庫で凍らせたのは氷ではなく、怒りと羞恥と沈黙を固めた塊だ。
そして彼女は、それを持って故郷に帰る。何かを叫ぶでも、訴えるでもない。ただ氷を置き、時間がそれを溶かすのを待つ。それは“発散”というより、他人の無関心に対する冷酷な回答だ。
復讐とは、往々にして他人の痛みに無関心であるという点で、加害と同質だ。エヴァはそれをわかっている。だが、それでもやるのだ。それが彼女の選んだ方法だから。
『MELT メルト』©Savage Film – PRPL – Versus Production-2023
原作の“沈黙”と、映画の“声”
『メルト』は、広く開かれた画角で撮られた幼少期と、陰鬱でタイトな構図の成人期が明確な対比構造になっている。 この視覚的コントラストが、物語全体に圧倒的な陰影を与えている。
光に満ちた記憶は、無垢の時間ではなく、むしろ悲劇の予兆として機能し、狭く息苦しい現在は、すでに回復不可能な感情の残骸が積み重なった空間だ。そして物語が進むにつれて、両方の時間軸が揃って最悪の結末へと収束する。この作品を、気軽な気持ちで観ることはおそらくできない。 精神がまともなときに観なければ、その陰惨さに魂ごと引きずり込まれる危険がある。
これ以上のネタバレを避けたいので、本作を語るには原作小説との比較をしてみよう。 原作「Het smelt」において、エヴァは最後まで真相を語ることはない。幼き日の悪夢を抱えたまま、言葉にすることもなく、ただ氷が静かに溶けていくのを見つめている。
氷こそが彼女の沈黙を代弁する象徴であり、“語られなかったこと”が読者にもっとも重くのしかかる。この作品は、語られない記憶、封じ込められた痛みが、いかに時間の中で圧を持ち続けるかを描いた、まさに“沈黙の美学”とでも呼ぶべき小説である。
一方、映画版のエヴァは言葉を放つ。自らの言葉で「過去のすべて」を明らかにする。彼女の告白は復讐ではない。語ることで誰かが謝るわけでも、赦しが得られるわけでもない。それでも彼女は語る。「誰もが忘れている」その記憶を、思い出す責任を引き受けてでも。
本作は「語らせることで、語られないものの輪郭を際立たせている」のだ。原作の沈黙が、読む者の想像力を引き出す「空白」として機能していたのに対し、映画の“声”は、観る者の倫理観を試す「問い」そのものになる。
『MELT メルト』©Savage Film – PRPL – Versus Production-2023
語れば癒される、とは限らない。語れば理解される、とはなおさら限らない。だが、それでも語らねばならない時がある。その瞬間がエヴァに与えられた、唯一の自由だったのかもしれない。
原作は、氷が溶けるだけの終わり方をする。語られないことで、記憶の暴力をむしろ強く伝える構造だ。 だが映画は、語ることを選び、語った先にも癒しなどないことを描いている。だからこそ、この作品は“沈黙の文学”の映像化ではなく、“沈黙を打ち破る映画”として、非常に稀有な強度を持っている。
『MELTメルト』
ブリュッセルでカメラマン助手の仕事をしているエヴァは、恋人も親しい友人もなく、両親とは長らく絶縁している孤独な女性。そんなエヴァのもとに一通のメッセージが届く。幼少期に不慮の死を遂げた少年ヤンの追悼イベントが催されるというのだ。そのメッセージによって13歳の時に負ったトラウマを呼び覚まされたエヴァは、謎めいた大きな氷の塊を車に積み、故郷の田舎の村へと向かう。それは自らを苦しめてきた過去と対峙し、すべてを終わらせるための復讐計画の始まりだった……。
監督:フィーラ・バーテンス
脚本:フィーラ・バーテンス、マーテン・ロイクス
原作:リゼ・スピット(「The Melting(原題)」)
出演:シャーロット・デ・ブリュイヌ、ローザ・マーチャント ほか
| 制作年: | 2023 |
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2025年7月25日(金)より新宿武蔵野館ほか全国公開