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母を奪われた少女が最後にみせる“優しい愛” 哀しみの底からの再生『アマンダと僕』

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ライター:#関根忠郎
母を奪われた少女が最後にみせる“優しい愛” 哀しみの底からの再生『アマンダと僕』
『アマンダと僕』©2018 NORD-OUEST FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA

 

ある日突然、思いもよらないテロ事件によって、最愛の母を喪ったアマンダと、大切な姉を喪ったダヴィッド。それまでの幸せな日々を奪われ、取り残された肉親二人、叔父と姪の深い悲嘆。7歳の幼いアマンダと24歳のダヴィッドは、今日を、明日を、そのまた明日を、どのように生きて行くのだろうか。【惹句師・関根忠郎の映画一刀両断】

肉親を奪われた叔父と姪の生活に、我々観客は寄り添う

『アマンダと僕』©2018 NORD-OUEST FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA

これは少女アマンダと青年ダヴィッドの悲しみの底からの再生を、実にナイーブな手触りで描き上げた近年出色の家庭劇。全篇、ミカエル・アース監督の温かく軟らかな視線が映像の隅々にまで行き届いた作品になっており、悲惨なテロ事件さえなければ、その展開はパリ市民生活の息吹が脈打つ、何とも愛すべき幸福感に包まれた映画になっていたかもしれない。

人は誰しも平穏な日常を望みながら生きている。でも日々の暮らしのなかで、いつどこで何が起きるか、何が起きてしまうか分からない、混沌とした由々しき世界情勢が続く。映画の発端ともいうべき、パリ市街で起きた悲劇的な事件現場の描写は極力抑えながら、映画は肉親を奪われた叔父と姪の、これからの日々に分け入ってゆく。この瞬間から我々観客は、二人に寄り添っていく役目を負っていくのだ。

『アマンダと僕』©2018 NORD-OUEST FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA

母親サンドリーヌの死をアマンダに告げながら涙を拭うダヴィッド。幼いアマンダは母の死という現実を受け止めきれず、茫洋とした眼差しを投げかけるほかに何ひとつできない。泣くこともできない。抑制の効いたショットによって悲しみが描写され、却って我々観客の涙を誘う。

いたいけな少女は、これからどうなっていくのだろうか。これからの日々の暮らしは、残酷なことに悲しみに立ち尽くすいとますらも与えないだろうか。

パリの市街を軽やかに描くことで“悲しみ”を伝える監督の手腕

早速持ち上がるのは、アマンダのこれからの世話を誰がしていくのかという問題。シングル・マザーのサンドリーヌ亡きあと、これまでアマンダの学校の送り迎えをはじめ、姉のためにさまざまな用事を果たしてきたダヴィッドだが、バイト的ではあるにせよ、いくつか自分自身の仕事も持っている。

『アマンダと僕』©2018 NORD-OUEST FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA

「でもアマンダの面倒を見るのは自分しかいない。父親代わりになれるかどうか。これからどうしたらいいんだ」

ダヴィッドは突然、群集の行き交う街なかで立ち止まり号泣。限りなく優しく気弱な若い叔父の苦悩が痛々しい。ダヴィッドの抑えきれない気持ちが不意に噴出するこのシーンには思わず胸を打たれた。

『アマンダと僕』©2018 NORD-OUEST FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA

このシーンは、ゲリラ的な隠し撮りが敢行されたと思われる。ミカエル・アース監督は、「パリの街なかでのロケの多くは殆んど無許可撮影だった」と語っている(パンフレット参照)。ちなみにダヴィッドとサンドリーヌ姉弟が、自転車で街の通りを軽快に突っ走る場面、同じくダヴィッドとアマンダが急ぎ足あるいは自転車を駆るシーンなど、幾つかの爽快な映像が展開するが、これはロケーション撮影の魅力を充分に熟知した撮影監督、セバスチャン・ブシュマンの功績だろう。画調はあくまでも明るく柔らかで、フィルムの豊穣なカラー映像に改めて魅了された。完成度の高いカラー調整の美は見る者の目を和ませる。

アマンダの心に宿る“奇跡の優しさ”に涙する。

映画の内容は、これから見る方々のために最小限にとどめておくが、ダヴィッドは、やがてアマンダの養父になることを決心し、そのプロセスが過不足なく、テンポの効いたドラマ展開によって語られていく。その間も当然、アマンダは親戚の世話になって、家々を泊まり歩くことになる。定まらない境遇に耐えられず、駄々を捏ねたり泣きじゃくったりする場面もあって、我々観客を切なくさせる。だが、切なさがこみ上げるシーンで、ミカエル・アース監督の演出は深追いを避けて、サラリと次へクイック・ターンをやってのけ、見る者に余分な重みを押し付けることがない。

『アマンダと僕』©2018 NORD-OUEST FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA

この軽やかさは本作の魅力のひとつ。本来なら、テロ事件の血なまぐさい現場を数ショット重ねるところだが、アース監督はこれをロング・ショットで済ませる。映画の主題が、あくまでも事件後の、愛する人への癒しがたい喪失感と、そこから真摯に立ち直っていく人々の葛藤にこそあるからに他ならない。そしてそのクライマックス。イギリス・ロンドンでアマンダとデヴィッドがテニス選手権を楽しむ観戦シーンへと展開する。

満員のスタンドに並んで座すアマンダとダヴィッド。生前、サンドリーヌが娘アマンダと弟ダヴィッドの3人で、ウィンブルトン選手権を見に行こうと用意していたチケットで、二人は観戦にやってきたのだった。

ほんの少しだけ心の痛手から立ち直る気配をみせて試合を追うアマンダの笑顔。しかし、やがてそれが一方的な試合展開のためなのか、なぜか一転俄かに掻き曇って、幼い顔が涙で大きく歪む……。このあとのことは未見の方々のために書かずにおこう。アマンダは、いったいどうしたというのだろう。彼女を見守りながらおろおろするばかりのダヴィッド。

『アマンダと僕』©2018 NORD-OUEST FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA

本作を見て、2015年1月15日、パリ市街で起きたシャルリー・エブド本社襲撃事件を苦渋と共に思い起こす方々も少なくないだろう。世界は最早、話し合いによる物事の解決がより困難になっているのだろうか。度重なるテロ事件による死と流血の惨劇を身近に体験した幼い少女アマンダが、我知らずその心に芽生えさせた奇跡のような優しさ。我々観客の一人一人が期せずしてアマンダとともに涙する。

あなたはこの優れて美しいラストシーンを、どう感じ、どう受け止めるのだろうか。全く思いもよらない優しさに包まれた⎾少女アマンダの心⏌が、エンディングに秘められている。

文:関根忠郎

『アマンダと僕』は2019年6月22日(土)より公開

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『アマンダと僕』

大切な姉を亡くした青年ダヴィッドは、身寄りがなくなってしまった姪アマンダの世話を引き受けることになる。

親代わりには荷が重く、戸惑いを隠せないダヴィッドと、母親を失ったことを受け入れられないアマンダ。

愛する人を奪われ遺された2人は、どのように現実に折り合いをつけ、その先の人生を生きてゆくのか…。

制作年: 2018
監督:
出演: