錦戸亮が再演、『映画 1リットルの涙』
2005年の秋、火曜の夜9時。フジテレビで放送されたドラマ『1リットルの涙』は、多くの視聴者を画面の前に引きつけた。沢尻エリカが演じる高校生・池内亜也が、体の自由を少しずつ失っていく。挿入歌のレミオロメン「粉雪」と「3月9日」は、当時の中高生の記憶に深く刻まれた。
あれから20年余り。同じ題名の映画が2027年2月に公開される。主演は錦戸亮。ドラマで亜也を見守る同級生・麻生遥斗を演じた彼が、38歳になった遥斗として戻ってくる。現在の遥斗は、小脳の変性疾患を専門とする研究医で、大学で医学生の指導にもあたっている。
物語は、彼の現在と、亜也と過ごした高校時代とを行き来しながら進むという。高校時代の遥斗を知念英和、亜也を月島琉衣が演じる。監督は、ドラマ版の演出も手がけた村上正典だ。
懐かしさに胸が熱くなる人は多いだろう。だが、この再映画化には、懐かしさだけでは終わらない問いが含まれている。
原点にあるのは、一人の少女の日記
まず、原点を確認しておきたい。
『1リットルの涙』は、愛知県に住んでいた木藤亜也さんが、14歳から書き続けた日記をまとめた本である。亜也さんは中学3年のとき、脊髄小脳変性症と診断された。小脳や脊髄の神経細胞が少しずつ失われ、歩く、話す、書く、飲み込むといった動作が徐々に難しくなっていく進行性の難病である。知的な働きは保たれることが多い。つまり、自分の体が動かなくなっていく過程を、本人ははっきりと自覚し続ける。
亜也さんは、手が動かなくなるまで日記を書き続けた。その日記は1986年に出版され、彼女は1988年、25歳で亡くなった。本は長く読み継がれ、シリーズ累計は200万部に達している。母の潮香さんも、娘との日々を手記に残した。
日記の中で、とりわけ多くの読者の胸を打ってきたのが、高校を去る場面である。亜也さんは進学校として知られる県立高校に入学したが、病気が進み、校内の移動に友人の手助けが必要になった。学校側から養護学校への転校を勧められ、彼女はそれを受け入れる。題名の「1リットルの涙」は、その決断をするまでに流した涙の量として、日記に記された言葉から取られている。
彼女を泣かせたのは、病気だけではなかった。友だちと同じ教室で学び続けたいという願いが、かなわなかったことだった。
架空の人物が、主人公になるとき
ここで、ひとつの事実を指摘しなければならない。
麻生遥斗は実在しない。原作の日記には登場しない、2005年のドラマのために創作された人物である。実際の亜也さんには、ドラマのような恋人はいなかったとされる。
ドラマ化にあたって恋愛の要素を加えることは、珍しいことではない。視聴者が感情移入する窓口として、遥斗という人物は効果的に働いた。病気の少女と、不器用に彼女を支える少年。その関係が、ドラマを多くの人に届けた。
しかし今回の映画では、その架空の人物が主人公になる。亜也は、遥斗の回想の中の存在であり、彼が医師を志した「原点」として位置づけられている。物語の中心は、彼女がどう生きたかから、彼女の死が一人の男性の人生をどう変えたかへと移っている。
これは、物語の類型として古くからあるものだ。病に倒れる若い女性と、その死を糧に成長する男性。女性は美しい記憶となり、男性の人生に意味を与える。この型の中で、女性は自分の人生の主人公であることをやめ、誰かの動機になる。
もちろん、作品を観る前に断じることはできない。現在の遥斗が研究医であるという設定は、亜也の生きた時間を、治療法の探求という未来につなげる意図を感じさせる。彼女の日記が、同じ病気の人やその家族、医療者を励まし続けてきたことは事実である。
ただ、実在した一人の女性が自分の言葉で綴った記録が、映像化を重ねるうちに、創作された男性の物語の背景になっていく。その移り変わりには、自覚的であったほうがいい。
「泣ける」という消費の是非
2000年代半ばは、「泣ける」作品の全盛期だった。『世界の中心で、愛をさけぶ』が大ヒットし、難病や死別を扱う恋愛ものが次々に映像化された。『1リットルの涙』のドラマも、その流れの中にあった。
“涙活”などという言葉が流行ったように、涙を流すことは心地よい。悲しい物語を観て泣いた後、人はすっきりし、やさしい気持ちになる。自分の日常が、ありがたいものに思える。だがそのとき、病気当事者は、観る側が感情を解放するための装置になっている。障がいや病気のある人を、“健常”な人々の感動の材料として扱う表現は、のちに当事者からも「感動ポルノ」と呼ばれ、批判されるようになった。
当然ながら、亜也さんの日記そのものは読者を泣かせるために書かれたものではない。そこにあるのは、悔しさ、怒り、嫉妬、自己嫌悪、そしてそれでも生きようとする意志である。人の役に立つ仕事がしたい。それができない自分は、何のために生きているのか。彼女は、諦めの境地に達した聖女ではなかった。最後まで問い続けた、一人の若者だった。
今回の映画が、2005年に泣いた世代のノスタルジーに応える商品として設計されていることは否定できない。あの頃10代だった人たちは、いま30代から40代になった。同じ俳優、同じ曲、同じ監督。20年前の感情を、もう一度呼び起こす仕掛けはそろっている。それ自体は悪いことではない。問題は、20年分、観る側が成熟しているかどうかである。
20年で変わったこと、変わらなかったこと
亜也さんが生きた1980年代と比べて、何が変わったのか。
医療の面では、脊髄小脳変性症の原因となる遺伝子が数多く特定され、病気が起きる仕組みの解明は大きく進んだ。国内の患者は、類縁の病気を含めて4万人規模とされる。しかし、進行そのものを止める治療法は、いまも確立していない。症状を和らげる薬とリハビリテーションが中心である。遺伝子に働きかける治療や再生医療の研究が続けられており、遥斗の「研究医」という設定は、その現在地を反映している。
制度の面では、2015年に難病法が施行され、医療費助成の対象となる指定難病は、当初の56から340以上に広がった。一方で、軽症と判定された人が助成の対象から外れる仕組みも導入され、制度の谷間に落ちる人が生まれている。進行性の病気では、いまは軽症でも、やがて重くなる。働けるうちに働き続けるための支援、病気を明かしても不利益を受けない職場は、まだ十分とは言えない。
そして教育である。亜也さんが転校を迫られた問題は、解決しただろうか。
日本は2014年に障がい者権利条約を批准し、障がいのある子どもが地域の学校で共に学ぶインクルーシブ教育を進めると約束した。2016年には障がい者差別解消法が施行され、学校にも合理的配慮の提供が求められるようになった。エレベーターのない校舎でも、教室を1階に移す、移動を支援する職員を配置するといった対応は、以前より広がっている。
それでも、2022年、国連の障がい者権利委員会は日本に対し、障がいのある子どもを分けて教育する仕組みをやめるよう強く勧告した。特別支援学校や特別支援学級で学ぶ子どもの数は、少子化の中でも増え続けている。「本人のため」「安全のため」「十分な支援ができないから」という理由で、別の場所を勧められる子どもは、いまもいる。高校段階では、医療的なケアや移動の介助が必要な生徒の受け入れは、義務教育よりもさらに遅れている。
もし亜也さんがいま高校生だったら、友だちと同じ学校を卒業できただろうか。確信を持って「できた」と言える人は、少ないはずだ。
「役に立てない自分」を責める言葉
亜也さんの日記には、人の役に立ちたいという願いが、繰り返し書かれている。そして、役に立てなくなっていく自分に、生きる意味があるのかという問いが。
この問いは、彼女個人の悩みである以上に、社会が彼女に抱かせた悩みである。人の価値を、何ができるか、どれだけ生み出せるかで測る社会では、できることが減っていく人は、自分の存在を負い目として感じるようになる。迷惑をかけている。お荷物になっている。そう思わせる空気は、亜也さんの時代よりも、むしろ強まっているかもしれない。
2016年、神奈川県相模原市の障がい者施設で、入所者19人が殺害された。加害者の動機に社会は震撼したが、インターネット上には、その主張に理解を示す書き込みも少なからず現れた。2019年には、進行性の神経難病であるALSの女性が、SNSで知り合った医師に依頼し、薬物を投与されて亡くなる事件が起き、安楽死をめぐる議論が広がった。
進行性の難病とともに生きる人たちの団体は、こうした議論に強い懸念を表明してきた。死ぬ権利が語られる前に、生きるための支援は十分に用意されているのか。24時間の介護を受けながら地域で暮らす選択肢は、誰にでも開かれているのか。「家族に迷惑をかけたくない」という理由で死を望む人がいるとすれば、それは本人の自由な選択なのか、それとも選択肢のなさが言わせているのか。
亜也さんは、最後まで生きた。体が動かなくなり、言葉が出にくくなっても、文字盤を指さして意思を伝えたそうだ。彼女の日記が読み継がれてきたのは、難病の少女がけなげだったからではない。何もできなくなっていく中で、それでも生きることに意味はあるのかという、誰もがいつか直面する問いを、15歳から25歳までの10年間、真正面から引き受けたからである。
支える家族の物語
もうひとつ、日記の背後にいる人々にも目を向けたい。
母の潮香さんは、保健師として働きながら、亜也さんを含む5人の子どもを育てた。娘に日記を書くことを勧めたのは彼女だったという。病気の進行を記録するためでもあり、書くことが娘の支えになると考えたからでもあった。仕事を続けながら、進行していく娘の介護を担い、弟や妹たちの生活も守る。その負担がどれほどのものだったかは、想像を超える。
そして、きょうだいたちである。重い病気や障がいのある子どもがいる家庭で、ほかのきょうだいは、親の関心が自分に向きにくい中で育つ。さびしさを口にできず、早くから「しっかりした子」であることを求められる。家事や介護を担うこともある。近年、こうした子どもたちは「きょうだい児」や「ヤングケアラー」と呼ばれ、近年ようやく支援の対象として認識されるようになった。
難病の物語は、患者本人だけの物語ではない。家族全員の人生が、病気を中心に組み替えられる。現在の制度は、患者本人への医療費助成が中心で、家族の生活を支える仕組みは薄い。親が仕事を辞めざるを得なくなり、家計が傾き、きょうだいの進学に影響が出る。そうした連鎖を断つ支援が要る。映画が、亜也と遥斗の二人の関係に焦点を絞るほど、この家族の視点は画面の外に出ていく。観る側が、意識して補っておきたい。
この映画をどう観るか
20年前に泣いた人にも、初めて出会う若い人にも、三つのことを提案したい。
ひとつめは、原作の日記を読むこと。映画は入口にすぎない。亜也さん自身の言葉には、どんな脚本にも置き換えられない力がある。そこには遥斗はいない。いるのは、母と、家族と、友人と、主治医と、そして自分自身と向き合い続けた一人の人間である。
ふたつめは、高校時代の場面で、学校と周囲の大人がどう描かれるかを見ること。転校は、避けられない運命として描かれるのか。それとも、別の選択がありえたものとして描かれるのか。悲しい音楽が流れる場面でこそ、なぜ彼女はここにいられないのか、誰がそれを決めたのかを考えてほしい。病気は誰のせいでもない。だが、病気の生徒が通い続けられない学校は、人がつくったものだ。
みっつめは、現在の遥斗の仕事に注目すること。彼は治療法を探している。それは尊い営みである。同時に、治らない病気とともに生きる人が、治らないまま、学び、働き、暮らせる社会をつくることも、同じだけ重要だ。医学が解決するのを待つあいだにも、人は生きている。亜也さんが日記の中で繰り返し問うたのは、治りたいということ以上に、この体でどう生きるか、何の役に立てるか、ということだった。
亜也さんは、自分の日記が200万人に読まれることも、ドラマや映画になることも知らずに亡くなった。彼女が求めていたのは、同情の涙ではなかったはずだ。もう一度この物語に泣くのなら、涙の後に、彼女が通いたかった教室のことを思い出したい。その教室は、いまも、すべての子どもに開かれているわけではない。
【作品情報】
『映画 1リットルの涙』 2027年2月26日公開/監督:村上正典/原作:木藤亜也、木藤潮香/出演:錦戸亮、知念英和、月島琉衣ほか/テーマソング:レミオロメン「3月9日」「粉雪」/配給:S・D・P
※本稿は公開前の時点で、公表されている作品資料、原作書籍および2005年のドラマ版に関する公開情報、関連法制度に関する公開情報をもとに執筆した。本編の内容に関する記述は公表された情報の範囲にとどめている。