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AIディープフェイク技術で日本独自の“失踪現象”と当事者たちの“声”を届けるドキュメンタリー『蒸発』

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ライター:#BANGER!!! 編集部
AIディープフェイク技術で日本独自の“失踪現象”と当事者たちの“声”を届けるドキュメンタリー『蒸発』
『蒸発』©2024 OSSA FILM, BR, MORI FILM

映画『蒸発』が映し出す失踪の深層

40以上の国際映画祭で絶賛を浴び、ミュンヘン国際ドキュメンタリー映画祭で最優秀作品賞を受賞したドキュメンタリー映画『蒸発』が、3月14日(土)より日本公開を迎える。

監督を務めたのは、ドイツ人映画作家のアンドレアス・ハートマンと、ベルリンと東京を拠点に活動する森あらた。本作の公開は、近年あまり耳にしなくなった「蒸発者」という言葉が、現代においてどのような切実な意味を持ち続けているのかを改めて問い直す機会になるだろう。

『蒸発』©2024 OSSA FILM, BR, MORI FILM

欧米メディアが注目する「Johatsu」という特異点

日本における「蒸発」という現象は、海外のメディアや研究者にとって、きわめて特異でミステリアスな社会問題として映っているようだ。2017年、米TIME誌は「Johatsu(蒸発者)」の足跡を追った特集記事を掲載し、「ストレスを抱えた日本人は、本当にこれほど精巧な失踪を演じるのか」と驚きをもって伝えた。2020年にも英BBCが、自らの人生を捨てて跡形もなく消える人々を支援する「夜逃げ屋」の存在を詳細に報じている。

『蒸発』©2024 OSSA FILM, BR, MORI FILM

こうした海外での関心の高まりには、フランスのジャーナリスト、レナ・モージェらによる著書「The Vanished(仏題:Les Évaporés)」が大きな反響を呼んだことが背景にある。社会学者の中森弘樹氏(「失踪の社会学 親密性と責任をめぐる試論」著者)は、日本の「蒸発」が英米圏のマスメディアで注目された直接の契機を、レナ・モージェ氏らの著書の英訳版が反響を呼んだことにあると分析。一部データの誇張を指摘しつつも、「蒸発」という言葉が海外で“再発見”された事実自体が探求すべき社会現象ではないかと指摘している。

『蒸発』©2024 OSSA FILM, BR, MORI FILM

欧米の視点では、日本の失踪は単なる行方不明ではなく、社会的なアイデンティティを完全に抹消して別人として生きる、いわば「社会的な死(Social Death)」を選択するプロセスとして分析されている。なぜ人々は、これほどまでに極端な「消滅」を選ぶのか。その背景には、個人の力では抗いがたい社会的な圧力が存在している。

『蒸発』©2024 OSSA FILM, BR, MORI FILM

逃避の背景にある「恥の文化」と構造的圧力

日本では毎年約8万人が失踪し(※多くは届出後すぐに発見される)、そのうち数千人が完全に姿を消すという。失踪の理由は多岐にわたり、人間関係のトラブル、借金、過酷な労働環境、あるいはドメスティック・バイオレンスやストーカーからの逃避など、私たちも身近に感じるものばかりだ。

海外の報道でも、日本の労働環境における「過労死(Karoshi)」のリスクや、一度レールを外れると再起が難しい「恥の文化」が、人々を極限まで追い詰めていると考察されている。会社を辞めることさえ“恥”と見なされる環境下で、自ら命を絶つか、過労で倒れるか、あるいは「蒸発」して人生をやり直すか。そうした過酷な選択肢が突きつけられたとき、蒸発は生存のための切実な代替案となり得るのだと。

『蒸発』©2024 OSSA FILM, BR, MORI FILM

救済としての「夜逃げ屋」と厳格なプライバシー保護

日本の厳格なプライバシー保護と法制度も、大人が自発的に失踪することを後押ししている側面があるだろう。日本では、警察は犯罪や事故の疑いがないかぎり成人の自発的(と思われる)な失踪には不介入を貫くため、家族であってもATMの利用記録や防犯カメラの映像を確認することは困難だ。映画『蒸発』でも、失踪した我が子のわずかな情報すら確認させてもらえないと憤り涙する家族が登場する。

『蒸発』©2024 OSSA FILM, BR, MORI FILM

そして“希望者”を物理的に支援するのが、映画でも冒頭から大きくフィーチャーされる「夜逃げ屋」と呼ばれる人々の存在だ。彼らは一晩のうちに跡形もなく荷物を運び出し、失踪者を新しい生活拠点へと送り届ける。これは欧米的な法的解決やセラピーによるアプローチとは対照的な、物理的な“リセット”という日本特有の解決策として捉えられてきた。

『蒸発』©2024 OSSA FILM, BR, MORI FILM

「自分ごと」として捉えるためのAIディープフェイク技術

映画『蒸発』を共同で手がけた森あらた監督は、人生の半分を欧州で過ごした自身の視点から、この現象を「日本社会の暗黙のタブー」であり、「目に見えないブラックホールのような世界」であると表現している。また、ハートマン監督は外国人としての視点を通じて、日本社会における「深い喪失感」と「人生をやり直す可能性」の両面を捉えようと試みた。そんな本作の大きな特徴の一つに、出演者の安全とプライバシーを保護するための<AIディープフェイク>という最先端の技術が挙げられる。

この技術は架空の人物の顔を生成し、取材対象者の表情の動きを完全に模倣させることで、出演者の素性を伏せつつ、その微細な感情や葛藤を観客に届ける。該当シーンは「ボカシ」加工から始まり、霧が晴れるように「蒸発者」たちの顔が徐々に現れる構成をとった。観客が感情に視覚的に触れる瞬間を大切にするための演出であり、あくまで没入感を保つための最小限の使用に留めている。

最近では、Netflixのドキュメンタリー『犯罪捜査ファイル:ルーシー・レトビー新生児殺害事件』でも被害者遺族の証言映像にAIが使用されていたが、視聴者からは没入感やプライバシー保護の観点から評価する声と同時に、かすかに残る不自然さへの指摘も寄せられている。しかし本作はAI前提で観ても違和感は少なく、むしろ切実さや感情移入が先に働くだろう。

『蒸発』©2024 OSSA FILM, BR, MORI FILM

――本作は単なる失踪者の記録ではなく、深い挫折の中から「自分自身」を再発見しようとする、人間の根源的な生のエネルギーが映し出されている。日常に潜む「蒸発」という現象が決して他人事ではない、社会構造そのものが生み出した選択肢の一つであることを改めて突きつけられる作品だ。

『蒸発』は3月14日(土)よりユーロスペースほか全国順次公開

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『蒸発』

日本では毎年、約8万人が失踪する。その多くはやがて帰宅するが、数千⼈は完全に姿を消してしまう。彼らは「蒸発者」と呼ばれる。理由は、⼈間関係のトラブル、借⾦、ヤクザからの脅迫など、さまざま。いわゆる「夜逃げ屋」の支援を受ける者もいる。すべてのしがらみを断ち、見知らぬ土地で、新しい生活を始める。深い喪失や挫折と、人生をゼロからやり直す希望が交差する。こうした「蒸発」という現象は、これまでも優れた文学や映画のモチーフになってきた。映画『蒸発』は、⽇本における蒸発の実態に迫ったドキュメンタリーだ。知られざる夜逃げ屋の仕事、そして失踪者と残された⼈々が抱える⼼の葛藤や、和解に至るまでの道のりを、没入感のある映像で描き出す。

監督:アンドレアス・ハートマン & 森あらた

制作年: 2024