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町の議会に、なぜ「おばさん」がいないのか?映画『あきらめません!』が笑いの裏で暴く、地方政治という最後の男社会

町の議会に、なぜ「おばさん」がいないのか?映画『あきらめません!』が笑いの裏で暴く、地方政治という最後の男社会
©垣谷美雨/講談社 ©「あきらめません!」製作委員会

移住した50代女性が市議選に出る物語は、人口流出に悩む地方への処方箋でもある――

あなたの住む町の議会に、女性議員は何人いるだろうか。即答できる人は少ないはずだ。そもそも議員の名前を一人も言えない、という人のほうが多いかもしれない。

国会の女性比率の低さは、たびたびニュースになる。しかし、もっと見えにくく、もっと根深いのが地方議会である。全国の地方議会に占める女性議員の割合は2割に届かない。市区議会で2割弱、町村議会では1割強にとどまる。女性が一人もいない「女性ゼロ議会」も、いまだに全体の1割を超えるとされる。保育、介護、学校、ごみ、水道。暮らしに最も近いことを決める場所が、最も男性に偏っている。

大九明子監督の新作『あきらめません!』は、その偏りのど真ん中に、一人の中年女性を放り込む。主演は永作博美。原作は、『老後の資金がありません』などで中高年女性の現実をユーモアに包んで描いてきた垣谷美雨の同名小説である。

定年後の楽園は、どこにもなかった

公表されているあらすじはこうだ。霧島郁子は結婚しておよそ30年。共働きを続けながら、ほぼ一人で育児を担い、娘たちを独立させた。夫・幹夫(大森南朋)の早期退職を機に、夫の実家がある地方へ移り住む。都会のマンションから庭つきの一戸建てへ。ようやく訪れた、自分のための時間のはずだった。

ところが待っていたのは、閉鎖的な地域社会のしがらみと、当たり前のように繰り返されるセクハラだった。怒りを募らせる郁子に、女性議員がまだ珍しかった時代から議場に立ち続けてきたベテラン市議・市川ミサオ(中尾ミエ)が目をつける。後継として、市議選に出ないか。郁子の前には、地元の名士で男尊女卑を体現する市議・村井(伊武雅刀)が立ちはだかる。ティザービジュアルの惹句は「私たちはモヤモヤで爆走する」。

設定の妙は、郁子が二重の意味で「よそ者」であることだ。移住者であり、女性である。地域の暗黙のルールを知らないからこそ、おかしいことをおかしいと言える。同時に、どこの馬の骨ともわからない嫁として、発言権を最初から割り引かれる。

そしてもうひとつ。舞台が「夫の実家のある土地」である点を見逃せない。夫にとっては帰郷であり、旧友と再会する安らぎの場所だ。妻にとっては、知り合いが一人もいない土地で、「霧島さんとこの嫁」としてゼロから位置づけ直される経験である。同じ移住が、夫婦で正反対の意味を持つ。定年後の地方移住を夢見る男性は多いが、その夢に妻の人生が含まれているかどうかを、この映画は最初の設定で問うている。

©垣谷美雨/講談社 ©「あきらめません!」製作委員会

地方議会はなぜ変わらないのか

地方議会に女性が少ない理由は、有権者が女性を選ばないからではない。そもそも立候補する女性が少ないのである。そこには、いくつもの関門が重なっている。

第一に、時間の関門。地方議員の仕事は議場の中だけではない。地域の祭り、消防団の集まり、葬儀、宴席。顔を出すことが票になる世界で、夜と休日が拘束される。家事や介護を担っている人には、物理的に不可能な働き方だ。

第二に、組織の関門。地方選挙では、町内会、農協、商工会、業界団体、同窓会といった地縁・職縁の組織が候補者を担ぐ。これらの組織の長は、ほとんどが年配の男性である。女性は実働部隊としておにぎりを握り、電話をかけるが、候補者として推されることは少ない。

第三に、家族の関門。立候補を考えた女性がまず直面するのは、夫や親族の反対だという調査結果は多い。「恥ずかしい」「家のことはどうする」「落ちたら親戚に顔向けできない」。男性の立候補が一家の誉れとされる土地で、なぜか女性の立候補は一家の厄介ごとになる。

第四に、ハラスメントの関門。内閣府が2021年に公表した調査では、女性の地方議員の6割近くが、有権者や同僚議員などから何らかのハラスメントを受けた経験があると答えた。性的な言葉、身体への接触、SNSでの中傷、票をちらつかせたつきまとい。これを見聞きした女性が、自分も出ようと思うだろうか。

2018年には、政党に男女の候補者数をできる限り均等にするよう求める法律ができた。しかし努力義務であり、無所属が多い地方議会への効果は限られる。

「なり手不足」という“追い風”

一方で、地方議会そのものが存続の危機にある。皮肉なことに、それが郁子のような人物にとっての入口になっている。

人口減少が進む町村では、議員のなり手がいない。統一地方選挙のたびに、定数に対して立候補者が足りず、投票なしで当選が決まる「無投票当選」が問題になる。町村議会議員選挙では、当選者の3割前後が無投票という回もあった。定数割れを起こした議会もある。報酬が低く、兼業しにくく、休みがなく、何かあれば叩かれる。若い世代が敬遠するのは無理もない。

結果として、議会は地元に長く住む高齢の男性で固まり、同じ顔ぶれが何期も務める。新しい住民や若い世代、女性の声は届きにくくなり、届かないからますます関心を失う。悪循環である。

裏を返せば、多くの地方議会は、少しの票で当選できる状態にある。数百票、町村なら百票台で議席に届くこともある。組織に担がれなくても、本気で動く人が数十人いれば戦える。本作が絵空事に見えないのは、この現実があるからだ。

若い女性が出ていく町

地方の人口減少の最大の要因のひとつは、若い女性の流出である。進学や就職で都市に出た女性が、地元に戻らない。その理由を尋ねた各種の調査で繰り返し挙がるのは、仕事の選択肢の少なさとともに、「地元の価値観になじめない」という答えだ。

女の子は愛想よく。結婚はまだか。子どもは。嫁は台所。集まりでは男が座り、女が運ぶ。本人たちに悪気はない。悪気がないから、変わらない。

自治体は移住促進や婚活支援に予算を投じるが、流出の原因が地域の空気そのものにあるなら、補助金では止まらない。娘が帰ってこない町に、他人の娘が嫁いでくるはずがない。郁子の長女・理美(西野七瀬)は、フランスに留学し、女性の人権について高い意識を持つ人物として設定されている。娘の世代はとっくに外を見ている。母の世代が黙って耐えてきたものを、娘は選ばない。その視線が、郁子の背中を押すのだろう。

民間の有識者でつくる人口戦略会議は2024年、全国の自治体の4割にあたる744の市町村を、将来的に「消滅の可能性がある」と分類した。その判定の基準は、20代から30代の女性の人口が、30年間で半分以下に減るかどうかである。つまり、町の存続は若い女性が残るかどうかにかかっていると、統計の側が認めている。にもかかわらず、その当事者である女性の声が町の意思決定に届かない。この矛盾を放置したまま、地方創生を語ることはできない。

地方議会に女性が増えることは、「女性のため」の話にとどまらない。意思決定の場に、台所と介護と子育てを知っている人間がいるかどうか。それは、その町が若い世代に選ばれるかどうかに直結する、生き残りの条件である。

怒りを笑いに変える技術

大九明子監督は、『勝手にふるえてろ』『私をくいとめて』などで、うまく言葉にできない感情を抱えた女性の内面を、独特のテンポとユーモアで映像にしてきた。本作が正面からの告発劇ではなく、コメディとしてつくられていることには意味がある。

中高年女性の怒りは、日本社会でもっとも軽く扱われてきた感情のひとつだ。「更年期」「ヒステリー」「おばさんはうるさい」。怒りの中身ではなく、怒っている人の属性が笑われる。だから多くの女性は、怒りを飲み込む。飲み込んだ怒りは「モヤモヤ」という、行き場のない霧のような言葉になる。

本作は、そのモヤモヤを推進力に変える。笑いは、相手の警戒を解く。説教されれば身構える観客も、笑っているうちに、気づけば郁子の側に立っている。村井のような人物を、単純な悪人ではなく、どの町にもいる「悪気のないおじさん」として描けるかどうかも見どころだ。演じる伊武雅刀は、嫌われ役を楽しんでいると語っている。

もうひとつ注目したいのは、中尾ミエが演じるベテラン市議の存在である。孤立無援で議席を守ってきた先人が、次の世代に席を渡す。中尾は、女性が自分の言葉で発言することの大切さと並べて、高齢者の引き際の大切さにも触れている。女性議員が増えない背景には、数少ない先達が長く席を守らざるを得なかった事情もある。世代交代は、男性だけの課題ではない。

制度は変えられる

では、どうすればいいのか。女性の意識や努力に期待するだけでは、百年待っても変わらない。変えるべきは制度である。

郁子の娘がフランスに留学しているという設定は、偶然ではないだろう。フランスは2000年、選挙の候補者を男女同数にすることを政党に義務づける「パリテ法」を定めた。守らない政党は助成金を減らされる。さらに県議会選挙では、男女がペアを組んで立候補する方式を導入し、県議会の女性議員の割合を一気にほぼ半数に引き上げた。世界では、候補者や議席の一定の割合を女性に割り当てるクオータ制を、多くの国が何らかの形で採用している。

日本でも、できることは多い。議会を平日の昼間だけでなく、夜間や休日に開く。オンラインでの委員会出席を認める。出産や育児、介護を欠席の正当な理由として会議規則に明記する動きは、すでに全国の議会に広がった。ハラスメントを防ぐ条例をつくり、外部の相談窓口を置く議会も出てきた。こうした環境が整えば、女性だけでなく、子育て中の男性や、会社勤めの人、障害のある人も議員になりやすくなる。

実例もある。神奈川県大磯町のように、議員の男女比がほぼ半々という状態を長く保ってきた議会がある。そこでは、女性議員は珍しい存在ではなく、当たり前の風景になっている。一人目が出ることが、二人目、三人目の立候補を呼ぶ。議場に女性が一人しかいないとき、彼女は「女性代表」として扱われ、何を言っても女性の意見とされる。三割を超えると、ようやく一人ひとりの意見として聞かれるようになる。組織論では、少数派が意思決定に影響を与えるには一定の割合が必要だとされてきた。

ベテラン市議のミサオが郁子に声をかけるのは、後継者が欲しいからだけではないはずだ。一人で闘うことの消耗を、誰よりも知っているからだろう。

あきらめてきたのは誰だったのか――主人公の決意表明

全編が石川県でロケされたことにも触れておきたい。2024年元日の能登半島地震では、避難所の運営に女性の視点が欠けていたことが改めて指摘された。着替える場所がない。生理用品を男性の担当者に頼みにくい。炊き出しは当然のように女性に割り振られる。災害時に露わになるのは、平時から意思決定の場に女性がいなかったという事実である。議会に誰がいるかは、いざというときの命と尊厳の問題になる。

鑑賞後にできることは、具体的だ。

自分の町の議会の議員名簿を見る。男女比と平均年齢を数える。議会だよりを一度読む。傍聴に行く。平日の昼間にしか開かれていないなら、それ自体が、誰を排除しているかの答えである。

そして、身近に「出てみようか」と言う女性がいたら、最初の一言を「大丈夫なの?」にしないこと。郁子が選挙に出られるのは、背中を押す先輩と、ぶつかりながらも理解者になっていく夫がいるからだ。一人の候補者の後ろには、あきらめさせない何人かが要る。

題名の「あきらめません!」は、主人公の決意表明である。だが、あきらめてきたのは誰だったのか。変わらないものだと思って、投票にも行かず、議会を放っておいた側ではなかったか。この映画は、笑い終わった観客に、その宿題を置いていく。

【作品情報】

『あきらめません!』 2027年1月22日 全国公開(1月15日 石川県先行公開)/監督・脚本:大九明子/原作:垣谷美雨(講談社文庫)/出演:永作博美、大森南朋、西野七瀬、伊武雅刀、中尾ミエ/配給:S・D・P

©垣谷美雨/講談社 ©「あきらめません!」製作委員会

 

※本稿は公開前の時点で、公表されている作品資料とキャストコメント、原作小説に関する公開情報、公的統計に関する公開情報をもとに執筆した。本編の内容に関する記述は公表されたあらすじの範囲にとどめている。

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