1982年に登場したキリスト教系カルト・摂理(キリスト教福音宣教会)は、当初ほとんど相手にされていなかった大学生に狙いを定め、一気に勢力を広げた。「信者の9割が大学生」という異様な状態で、サークルを装った勧誘が日常化。学生が学生を勧誘する“若者の連鎖支配モデル”が完成していた。
韓国カルト教祖の“恐怖の支配モデル”
だがどんなに信者が増えても、その大半が学生では多額の寄付は期待できない。そこで教祖チョン・ミョンソクは街頭募金、落花生販売、年賀状販売——労働力として学生を使い倒し、資金を吸い上げた。しかし、その金でチョン・ミョンソクが真っ先に行ったことは、彼らに恩恵を与えることでも神の声を届けることでもなく、自分が乗るためのベンツ購入という愚挙であった。貧乏学生から吸い上げるだけ吸い上げた血反吐まみれの金でベンツを買う教祖…普通なら暴動が起きる話だが、この男はそれを上手く使って自身のカリスマを演出することに成功する。とはいえ、本作でも映し出されるドヤ顔でベンツから降り立つチョンの姿は、宗教家とはかけ離れた詐欺師そのものだ。
さらにチョンは“イベント乱発”という巧妙な支配装置を持っていた。音楽、スポーツ、レクリエーション——若者が跳ねる要素を片っ端からぶち込み、軍事政権下の閉塞した韓国社会で、彼らの鬱屈を巧みに拾い上げた。まるで学生たちの楽園。しかし実態は違う。これはすべて“チョンを神格化するための娯楽装置”であり、若者を依存状態へ追い込む仕組みだった。若者たちを従え、教祖でありながらも自らイベントに参加し、必ず一番目立つように工夫されたシナリオ通りに活躍するチョンの姿は、どちらかというと“勘違いしてしまった野外フェスの主催者”といったところだ。しかし若者たちは彼についていく。過度に加熱した学歴社会の中で飼いならされていた高学歴の彼らは、小学校しか出ていないチョンの人身掌握術に翻弄されたというわけだ。しかし、かりそめの楽園に身を投じた若者たちを待ち受けていたのはさらなる搾取だ。チョンの個人的な性搾取の対象となるという、生き地獄のような生活であった。
一般信者、とりわけ男性信者に対して厳しく性欲を抑圧する教えを説く一方で、教団内では“神の花嫁”と称して若い女性を選抜し、チョン個人の性欲処理のためのシステムが作り上げられていた。作中では、風呂場で何人もの女性信者を侍らせ、身体を寄せさせる異様な光景が映るが、それは宗教儀式ではなく、もはや酒池肉林である。チョンは“救い”を語りながら、実際には“選ばれた花嫁”という言葉で女性を心理的に追い詰め、性暴力を信仰の一部へと書き換えていた。
告発者である香港人の元信者・メープルの証言は重い。「あの人がすることはすべて変態的です。愛しているならあんな扱いはしない。私は犯されながら“神様”と呼んでいました…一体、私は何をしているんだろうと」
これは単なる教祖の暴走ではない。若者を経済的・心理的に囲い込み、最後に女性を性支配へ落とす“宗教を装った搾取マルチ”の完成形といえるだろう。
こうした“酒池肉林ライフ”を満喫した末に、教祖であるチョンは女性信者への性犯罪でたびたび捜査対象となり、2009年には強姦および準強姦で懲役10年の実刑判決。だが、出所後の2018年から再び活動を再開し、教団としての勢力は今なお拡大中。その一方で、未だに明らかとなっていない余罪は山のようにあるとみられ、“次に誰が被害者になるのか”という恐怖だけが女性信者たちの心を支配し続けている。
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