歌詞と物語のリンク
――歌詞と物語のリンクも素晴らしいですが、やはり苦心されたのでしょうか。
藤原:そうですね。僕はせっかく主題歌を書かせていただくなら、作品と並び立つ存在でありたいと思っています。『ひゃくえむ。』の中に出てくる言葉と作詞として書いた言葉は違うものだけれど同じことを表しているといったような塩梅にしたく、歌入れの〆切ギリギリまで歌詞を直しながら研ぎ澄ませていきました。
『ひゃくえむ。』の原作の中でも、トガシが自分自身の影なのか小宮くんなのかわからないシルエットと対峙する描写がありますよね。僕自身もああいった存在がいまお話ししているこの瞬間にも視界の端っこにいます。自分の可能性を否定したり、押さえつけようとする存在だけれど、そこに甘んじてしまうと楽な時もあって、まさに「君に負けてしまう日もあった」が自分自身の身に起こっています。でもそれもアイデンティティだと受け止めたい――という僕自身の想いも投影しています。
魚豊:らしさってアイデンティティって意味ですよね。そしてそのアイデンティティって、自己同一性って訳語が当てられるくらい、同一であること、ブレないこと、個である事を意味する単語だとおもうのですが、この楽曲の素晴らしさは、らしさを何か一つを選ぶことではなく、何かと何かで迷うこと、と提示している点です。何を選んでも自分だからねというような捉え方ではなく、「強さ」や「弱さ」、「泣く」と「笑う」といった揺らぎや迷いがこの曲の中で絶え間なく運動していて、それでも同一させたいという意志もあって――その模索こそが本当の“自分らしさ”なのだと改めて思えました。
本当に贅沢な話なのですが、皆さんが僕の作品を買って下さったおかげで、少し休んでも飢え死にはしない状況になれました。そうなると「なんでこんなに悩んだりして描いてるんだろう」という状態になりました。描きたいと思うものはあるけれど、なかなかうまくいかず苦しんでいたときに『らしさ』を聴いて、勇気が出ました。弱い自分を受け入れたらそこまでの表現になってしまうし、これが“らしさ”だと言い聞かせてしまうとそこで終わってしまうというあがきに共感したいと思ったんです。
また、ナイーブでウェットな歌詞を爽やかなメロディで包むのもとても自分好みでした。僕自身も中身はウェットだけれどそれに引っ張られないカラッとした絵柄や演出にして、最後に爽やかさを提示できる漫画を作りたいと思っています。聴けば聴くほど、「この曲のようなものを次は描きたい」と思える、自分の人生自体にしっくりくる楽曲になってくれました。
藤原:そんな風に思っていただけて、本当に光栄です。僕も今ちょうど新曲を作っていて、同じように「なんでこんな苦しい想いをしなきゃいけないんだろう」と感じますし、しばらくお休みしても生きていけるくらいには多くの方が楽曲を愛してくださっているなかで、それでも気づいたら作品づくりのことを考えてしまう性分にはとてもシンパシーを感じます。
『ひゃくえむ。』は小学生から社会人まで長いスパンのライフステージを描いていますが、読み終わったときはあっという間に感じました。その感覚を音に入れたいというのがサウンドイメージとしてあり、楽曲を制作していくなかで自然と心拍数が上がっている時と同じくらいのBPMになっていきました。また、『らしさ』のサビではあえて他のメロディより音を下げています。サビは楽曲の顔でもあるのでキーを下げることで地味に聞こえてしまうリスクもありますが、一番ハートがこもっているのはこの高さなんだ、という想いでこの形になりました。
魚豊:映画は全体的にソリッドな内容に仕上がっていて、原作ともまた違う演出もあり僕も一つの作品として好きなのですが、最後に原作の爽やかな部分を抽出した『らしさ』が流れることで、全体のバランスや濃度がより良いものになったように感じています。
また、月並みな表現で恐縮ですが『らしさ』を聴くとやっぱり元気が出るんです。“やっぱり漫画が好きだからやりたい、今日も考えよう”ともう一回思わせてくれる。『らしさ』は何年か好きなものを続けた人の曲でもあるかと思いますが、別に僕がいなくたって名作はたくさんあるけれど、やっぱり自分の手でやりたいという感覚を取り戻させてくれます。
藤原:魚豊先生の作品は表情や言葉に引き込まれ、のめり込んで読んでしまいます。そうした展開や演出は、どのように考えているのですか?
魚豊:その部分は、特に重視しているところで、僕も毎回悩み続けて答えが出てないのですが、一つにはリズムを重視したいと思ってます。
最初に文章だけのものをつくって、漫画のコマに割っていくのですが、コマの連続をどう楽しませるか、心地良くさせたり、逆に居心地悪くさせるかといったリズムやテンポこそが作者の文体であり、作品を支配している重力だと考えています。もし引き込まれてくださったのなら、藤原さんの好きなテンポ感に僕自身の文体が合ったのかもしれません。
藤原:いまのお話を聞いて思い出したのは、先ほどお話ししたトガシが涙するシーンの演出です。ポツ…ポツ…と地面が濡れるコマがあって雨が降ってきたのかな?と思って読んでいたらトガシの涙で、そこから回想がトガシの脳内を駆け巡って「来た、現実が。」と倒れ込んで泣いてしまうシーンです。画から伝わってくる心情や緩急のドラマ、鬼気迫るものに音楽に近いものを感じました。もう一つ伺いたいのは、構成についてです。ラストの締め方が本当に見事でしたが、初期段階から考えていたのでしょうか。
魚豊:そうですね。自分のスタイル的に、最初から最後まである程度のプロットを組んでから始めようと決めています。一つの作品を長く続けるというよりは、コンセプト先行で何個も作品を作ろうと思い、ある程度着地点を決めてから描いています。ただ不思議なもので、最初からそこに着地しようとは思っているのですが、描いていくうちに当初とは全く違う気持ちでそこに追いつけるといいますか、今思いついたラストシーンのような新鮮さを感じられて、安心できるところがあります。
藤原:僕はエンジニアさんがミックスしてくれた『らしさ』の音源が届いたときに、原作のラストを読み返しながら聴きました。そうしたら涙が出てきてしまって……。足が速く生まれただけで自分に走ることへの熱はないと思っていたトガシがラストシーンに至るまでを思い返して、感極まってしまいました。
魚豊:光栄すぎてびっくりしています……。ありがとうございます。
藤原:「Pretender」の後くらいから、評価とどう距離を取っていこうかと考えるようになりました。『ひゃくえむ。』と出会い、トガシの「全身全霊で勝負するのは誰かに評価されに行くのは震える程怖い。でも少し本当に限りなく極極僅かな一瞬だけワクワクする…」その先のセリフはぜひ映画館で観てほしいですが、そのセリフに“自分が曲を作っている時の感覚だ”と気づかされました。曲がどれだけ愛されていくかは僕にはコントロールできないから、無視してもいいと思っていた時期もあったんです。でも今は変わりました。全力をつぎ込んで、結果が出たらしっかり喜ぶし、そうでなければ必死に悔しがるのが人生の醍醐味なんじゃないかと『ひゃくえむ。』に教えてもらったからです。
(取材・文/SYO)
©魚豊・講談社/『ひゃくえむ。』製作委員会
『ひゃくえむ。』は2025年9月19日(金)全国公開