「パブリックリーダースクール」で原作者武田一義が作品ゆかりの地の生徒と平和を考える『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』
作品への想いや各施設での取り組み
さらに同日、茨城県庁にて武田一義先生に加え(原作、共同脚本)蓮井誠一郎氏(茨城大学人文社会科学部 教授)金澤大介氏(筑波海軍航空隊記念館 館長)石川啓プロデューサー(東映)による記者会見を実施。水戸と縁深い『ペリリュー』の話題を中心に、それぞれが作品への想いや各施設での取り組みについて語った。
『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』©武田一義・白泉社/2025「ペリリュー -楽園のゲルニカ-」製作委員会
はじめに石川プロデューサーより映画化の経緯が語られた。「東映は戦後できた会社で『きけ、わだつみの声』や『男たちの大和/YAMATO』などずっと戦争映画を作ってきた経緯があり、多くの方に観ていただき会社としても重要なジャンルという位置づけです。自身でも戦争を題材にした映画をプロデュースしたいと思っていた時にちょうど見つけたのが2018年当時4巻まで出ていた『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』でした」と、企画を思い立った当時を思い起こす。
そして「戦争映画は年配の方がご覧になるということが多いのですが、『ペリリュー』は漫画原作でかわいらしいビジュアルをアニメ化することで、若い世代の方や女性など、これまで戦争映画を敬遠してきた人にもご覧いただけるようにしていくのがこの作品の重要な意義と思っています」と、これまでの戦争映画の観客層からさらに多くの人に広げるための意図が語られた。
武田先生も、執筆のきっかけとなるエピソードに加え「当初は戦争というものを未来に描き繋いでいくということになるとは意識していませんでした。あくまで自分が描きたいと思いだけで始まった作品でしたが、執筆や取材をしたり、されたりを重ねていくうちに、いかに戦争の記憶を語り継いでいくか、興味を持ってもらったり伝えていく難しさを知りました。今、本編11巻、外伝4巻を描き終えて思うことは自分一人ではこうはならなかった。映画も同じで、多くの方の手を借りてここまで進んできてようやく発表できるということになって、これもまた作品が自分だけのものでなく、多くの人のものになっているということだと思います」と原作者として、漫画、そして映画への広がりについて感慨深く語った。
茨城大学では『ペリリュー』公開の記念としてパネル展の実施、さらに学生限定の試写が今年11月に予定されている。登壇者である人文社会科学野 教授の蓮井氏はペリリューと水戸の関係についての説明を担い、3つある茨城大学のキャンパスの中で水戸キャンパスが、主人公の田丸たちが所属した水戸第二歩兵連隊の駐屯地だったという背景が説明される。
「歴史的にも重大な出来事であった割にはこれまであまり学術的研究が積極的に行われてきてはいませんでした。映画をきっかけとして、茨城大学の内外で水戸第二連隊の歴史的な研究活動が活性化していくことを期待しています。学生たちにも漫画を読んだことがあるか聞いてみると多くの学生が読んでいました。そして茨城大学の学生たちのアイデンティティにも関わることなので、映画についても“絶対観に行かないといけない作品ではないか”とアニメ化への歓迎ムードもあります」と学生たちの映画への期待の報告と共に研究も活発になることを願った。
茨城で『ペリリュー』を展開する意義として、筑波海軍航空隊記念館 館長の金澤氏からは「この映画を知っていただくには、まずは水戸二連隊という関連のある茨城で盛り上げていきたい」という東映からの意向もあり、各施設でそれぞれ協賛という形で関わっていくこと、これからの展開が説明された。金澤氏は「水戸市、常陸大宮市など関連する市町村の方々もこの作品は語り継いでいくものであるという意思のもとご協力いただいています。ぜひ子供たちに広くこの作品が広まってほしいです。映画が公開されて終わりではなく、地域のことを語り継ぐために、終戦記念日など戦争を思い出すタイミングなどでこの映画を観ることが習慣になっていくといいなと思ってます」と期待を込めた。
漫画の執筆のために実際にペリリュー島から生還した方々への取材も行った武田先生は、直接当事者から聞くことが自身にとっても大きな体験だったと語る。
特に生還者の一人、土田喜代一さん、永井敬司さんとの会話を思い起こし「土田さんは聞いている人の負担にならないよう、自身の体験を冒険譚のように語ってくださる方なんですが、そんな方でも亡くなった戦友の話になるとたまらず涙が込み上げてきたり…何度も語ってきた体験で、何十年も経っていてもそうなってしまう。聞かせていただくお話が既にほかのメディアで取り上げられている内容だったとしても、実際に生の感情に触れることができたのが大きな経験でした。そして永井さんですが、僕は島での体験を聞くことはできませんでした。“体験者の話を聞けば自身は経験していなくても漫画が描けると思いますか?”と問いかけられたのですが、この言葉は自分自身の中にもあったものでもあります。戦争を体験して戦後を長く過ごされた方の実感としての言葉が聞けたことが、島での体験を聞くこと以上に貴重な取材だったと思います」と両者との対話で初めて知ることになった言葉や感情を大切に心に留めていることを語った。
そして最後に「日本全国どこの家庭でもご先祖さまというものはいるもので近いところで祖父であったり曽祖父であったりだとか…戦争というものには無縁ではなかったと思います。ただ、今現在の家庭で戦争の話をするかというとあまりないわけで…こういった作品をきっかけに“うちはどうだったの?”と家族の会話のきっかけになるといいなと思います」と締めくくりの言葉が贈られた。
日本中が戦争を考える8月。たとえ教科書に載っていなくとも、忘れてはならない歴史のある土地・茨城でも大人と若者たちが、戦争とそしてこれからの未来について真摯に向き合う価値ある時間を共有した。
<あらすじ>
仲間の最期を「勇姿」として手紙に書き記す功績係――彼が本当に見たものとは?
太平洋戦争末期の昭和19年、南国の美しい島・ペリリュー島。そこに、21歳の日本兵士・田丸はいた。漫画家志望の田丸は、その才を買われ、特別な任務を命じられる。それは亡くなった仲間の最期の勇姿を遺族に向けて書き記す「功績係」という仕事だった。
9月15日、米軍におけるペリリュー島攻撃が始まる。襲いかかるのは4万人以上の米軍の精鋭たち。対する日本軍は1万人。繰り返される砲爆撃に鳴りやまない銃声、脳裏にこびりついて離れない兵士たちの悲痛な叫び。隣にいた仲間が一瞬で亡くなり、いつ死ぬかわからない極限状況の中で耐えがたい飢えや渇き、伝染病にも襲われる。日本軍は次第に追い詰められ、玉砕すらも禁じられ、苦し紛れの時間稼ぎで満身創痍のまま持久戦を強いられてゆく――。
田丸は仲間の死を、時に嘘を交えて美談に仕立てる。正しいこと、それが何か分からないまま…。そんな彼の支えとなったのは、同期ながら頼れる上等兵・吉敷だった。2人は共に励ましあい、苦悩を分かち合いながら、特別な絆を育んでいく。
一人一人それぞれに生活があり、家族がいた。誰一人、死にたくなどなかった。ただ、愛する者たちの元へ帰りたかった。最後まで生き残った日本兵はわずか34人。過酷で残酷な世界でなんとか懸命に生きようとした田丸と吉敷。若き兵士2人が狂気の戦場で見たものとは――。
『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』は2025年12月5日(金)全国公開