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『007』シリーズでティモシー・ダルトンが演じたボンドこそ、ダニエル・クレイグ版のプロトタイプだ!

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ライター:#谷川建司
『007』シリーズでティモシー・ダルトンが演じたボンドこそ、ダニエル・クレイグ版のプロトタイプだ!
UNITED ARTISTS / Allstar Picture Library / Zeta Image

人生の選択で成功を勝ち取った男!
【シネマ・タイムレス~時代を超えた名作/時代を作る新作~ 第6回】

連載第6回目は、四代目ジェームズ・ボンドとしてシリーズ2作品に出演し、近年はますます芸域を広げて活躍している英国の名優、ティモシー・ダルトンの軌跡にフォーカスしたい。

二代目 松本白鸚を彷彿とさせるキャリア形成の見事さ!

日本に歌舞伎の伝統があるように、英国にはシェイクスピア演劇の伝統がある。その総本山は王立演劇アカデミー(RADA)で、ここを卒業してロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)に在籍して舞台に立つというのが英国で俳優を志す者にとっての最も正統かつ由緒ある道筋ということになる。そのコースを辿った名優たちの顔触れ、すなわちピーター・オトゥール、イアン・ホルム、グレンダ・ジャクソン、ケネス・ブラナー、イメルダ・スタウントンといった名前をちょっと挙げただけでもいかに凄いかが判る。

RADA卒業生には他にジョン・ギールグット、リチャード・アッテンボロー、アルバート・フィニー、アンソニー・ホプキンス、ジョナサン・プライス、そしてロジャー・ムーアらがおり、RSC在籍経験者にはローレンス・オリヴィエ、デレク・ジャコビ、リチャード・バートン、イアン・マッケラン、ヴァネッサ・レッドグレーヴ、ベン・キングズレー、トム・ヒドルストン、そしてジュディ・デンチら、錚々たる顔ぶれ、というよりも、英国演劇・映画界の主要な俳優すべてという感じになる。

さて、四代目ジェームズ・ボンド役として知られるティモシー・ダルトンはというと、16歳の時にRADAに入学しているが、そこを卒業し厳しい競争に勝ち残ってRSCを目指すという道は選択せずに、20歳でRADAを飛び出してバーミンガム・レパートリー・シアターに加わってみるみるうちに頭角を現し、テレビの仕事などで活躍し始めた。このバーミンガム・レパートリー・シアターというのも、若き日のローレンス・オリヴィエが修業を積んだ名門なので、たとえて言うならばRADA⇒RSCというコースが歌舞伎でいうところの梨園の御曹司が純粋培養で幹部役者になるコースだとすると、ダルトンの歩んだコースというのは同じく梨園の御曹司でありながら染五郎時代にテレビや映画、ミュージカルで大活躍してから歌舞伎の幹部俳優となった二代目 松本白鸚(九代目幸四郎)を彷彿とさせる。

いかにダルトンが英国演劇界で秀でた存在だったかは、22歳の時に『冬のライオン』(1968年)で映画デビューし、しかもヘンリー二世役のピーター・オトゥール、エレナー王妃役のキャサリン・ヘップバーンと肩を並べてのフランス王フィリップ役を堂々と演じ、既に獅子心リチャード王子役アンソニー・ホプキンスよりもビリング(ポスターなどのスタッフ・キャスト表記に記載される順番)で上位に立っていた事実が雄弁に物語る。

ボンド役のオファーを断ってオリヴィエの後を継ぐ強固な意志!

そんなダルトンに英国のイオン・プロダクションが食指を伸ばさないわけはなく、シリーズ第5作『007は二度死ぬ』(1967年)をもってショーン・コネリーが降板した後釜の二代目ジェームズ・ボンド役として白羽の矢がたてられた。

『冬のライオン』(1968年)の音楽担当がジョン・バリーだったことも『007』シリーズのプロデューサー、アルバート・R・ブロッコリとサリー・ザルツマンの関心がダルトンに寄せられるきっかけだったかもしれない。だが、ダルトンはこのオファーを断り、かつてのオリヴィエの映画での代表作『嵐が丘』(1939年)のヒースクリフ役をリメイク版『嵐が丘』(1970年)で演じることと、翌年からは再び舞台に専念してRSCと共に世界中で舞台に立つ道を選んだ。もちろん、シリーズ5作品で確固たるボンド・イメージを築き上げたコネリーの降板直後に、コネリーよりも16歳も若い自分が引き継ぐリスクも考えただろう。二代目ボンド役にはオーストラリアの俳優ジョージ・レーゼンビーが選ばれ、1971年にはコネリーが復帰した。

その後も、ダルトンは日本の映画ファンには『クイン・メリー/愛と悲しみの生涯』(1971年)、『アガサ/愛の失踪事件』(1979年)、そして宇宙の貴公子を演じた『フラッシュ・ゴードン』(1980年)といった作品で強い印象を残していたが、そんな最中の1981年、三代目ジェームズ・ボンドとして4作品に主演していたロジャー・ムーアが『007/ムーンレイカー』(1979年)をもって降板の意思表示を示し、再びダルトンにジェームズ・ボンド役がオファーされる。

だが、この時は映画『ココ・シャネル』(1981年)でマリー=フランス・ピジェ、ルトガー・ハウアーと共に出演することが決まっていたこともあって再び丁重に断り、結局ムーアはあと3作品でボンド役を続けることになった。

満を持しての四代目ボンド役への就任! たった2本で降板に至った真相とは?

さて、時は流れて1986年8月、イオン・プロダクションは、引退したロジャー・ムーアに代わる四代目ジェームズ・ボンド役としてティモシー・ダルトンと契約したことを世界へ向けて発表した。ムーアによれば、彼の最後の『007』シリーズ主演作品となった『007/美しき獲物たち』(1985年)の直後には、ダルトンはブルック・シールズとの共演作『ブレンダ・スター』(1988年)に掛かりっきりだったため三度難色を示し、ブロッコリは仕方なく一旦NBCテレビの『探偵レミントン・スティール』(1982~1987年)で好評を博していたピアース・ブロスナンにターゲットを絞ったものの、同シリーズの延長が決まったため初心に戻って『ブレンダ・スター』を終えるまでダルトンを待つ選択をしたのだという。

まさしく満を持してのボンド役へのチャレンジとなったダルトンは、このとき40歳の男盛り。契約では1987年から2年に1作品、1993年までに4本の『007』シリーズにボンド役で主演することになっていたという。実際には『007/リビング・デイライツ』(1987年)と『007/消されたライセンス』(1989年)の2作品のみで降板となったのは周知の事実だが、その背景としてイオン・プロの親会社と、シリーズの配給を手掛けてきたMGM/UA(元々はユナイト映画配給だったが、同社が『天国の門』[1980年]で経営破たんしてMGMに吸収合併された)とが、MGM/UAの身売りに伴う『007』シリーズの扱いを巡って法廷闘争に突入、新作の製作に入れないまま5年の月日だけが空費された事情があった。

降板の経緯としては、ダルトンとブロッコリの対立などが巷で噂されたが、後にダルトン自身が語っているところによれば、ようやくシリーズ再開が決まった際に、ダルトン自身はあと1本だけ仕上げとして出演したいと希望を伝えたものの、ブロッコリは戻ってもらうなら4~5本はやってもらわないと困ると主張したので、ボンド役だけでキャリアを終えたくなかったダルトン自身が降板を決断したということが真相だったという。

結果的に2作品だけとなってしまったダルトン=ボンドだが、ムーア時代のソフィスティケートされたボンド像と新兵器などのテクノロジーに頼り過ぎたことへの反省から、イアン・フレミングの原作で描かれていたボンド像への回帰が図られ、己の肉体だけで窮地を脱して戦っていく人間ジェームズ・ボンドとして方向転換がなされた。そして、ダルトンは親友の元CIAのフィリックス・ライターが(かつてのボンド自身と同様に)新妻を惨殺され、さらに半身不随とされたことへの怒りから、所属する組織MI-6を敵に回してでも復讐を果たそうとする極めて人間的なボンドを演じ、新たな地平を切り開いたのだ。

この人間的なボンド像というのが後の六代目ダニエル・クレイグの演じる現在のボンドのプロトタイプとなったことは間違いない。

その後のキャリアと新たなるチャレンジ!!

ボンド役降板後のティモシー・ダルトンの代表作と言えば、何といっても『風と共に去りぬ』(1939年)の続編として出版され、その映像化への期待が世界的な話題となっていた『スカーレット/続・風と共に去りぬ』(1994年)でのレット・バトラー役だ。

クラーク・ゲイブルのレット・バトラーとヴィヴィアン・リーのスカーレット・オハラに太刀打ちできるキャスティングとしては、ショーン・コネリーのバトラーとジェーン・シーモアのスカーレットしかないだろう、などと筆者はずっと思っていたが、1994年時点では既にコネリーは還暦をとっくに越え、シーモアも40歳を越えていたから、4000万ドルという破格の予算でのテレビのミニ・シリーズとしてダルトンのバトラー役決定のニュースを聞いたときには、「なるほど、その手があったか!」と思ったものだ。

その他、『ロケッティア』(1991年)ではエロール・フリンを彷彿とさせる剣劇スターで、実はスパイ(!)という役どころを楽しそうに演じていたし、サイモン・ペッグ脚本・主演作品『ホットファズ 俺たちスーパーポリスメン!』(2007年)では田舎町の有力者(スーパーマーケットの社長!)サイモンという役でおバカ・ムービーにフレーバーを加えていたりとコメディでも大いに存在感を見せて、ボンド時代の生真面目さは何だったのか? と突っ込みを入れたくなるような弾けっぷりだ。

さらに、アニメーション映画の声優としても『トイ・ストーリー3』(2010年)、『トイ・ストーリー4』(2019年)ではレーダーホーゼンを穿いたハリネズミのミスター・プリックルパンツを、『ティンカー・ベルと輝く羽の秘密』(2012年)ではミロリという冬の森の長役を存在感たっぷりに声の出演で演じるなど、その芸域はますます広がるばかりに見受けられる。

既にロジャー・ムーアは亡くなり、ショーン・コネリーは今年で90歳というと感慨深いものがあるが、74歳のティモシー・ダルトンはまだまだ元気に活躍を続けてくれることだろう。

文:谷川建司

『007/リビング・デイライツ』『007/消されたライセンス』はCS映画専門チャンネル ムービープラスで2020年6月より放送

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