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「わたしは“死”の大ファン」ギレルモ・デル・トロが信じる〈3つの神話〉とは?『フランケンシュタイン』inマラケシュ映画祭

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ライター:#佐藤久理子
「わたしは“死”の大ファン」ギレルモ・デル・トロが信じる〈3つの神話〉とは?『フランケンシュタイン』inマラケシュ映画祭
ギレルモ・デル・トロ監督@マラケシュ国際映画祭 Photo© JM VIGNERES FIFM 2025

ギレルモ・デル・トロ in マラケシュ国際映画祭

米ゴールデン・グローブ賞で5部門ノミネートを果たした新作『フランケンシュタイン』(Netflixで独占配信中)で注目を集めるギレルモ・デル・トロ監督のトリビュートが、今年22回目を迎えたモロッコのマラケシュ国際映画祭で開催。記念トロフィーを授与されたデル・トロ監督が、熱のこもったトーク・セッションを披露した。

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マラケシュは映画産業が盛んで、ハリウッド映画のロケ地としてもしばしば使われるほど。映画学校もあるため、トークには地元の学生も集まり大盛況となった。さらに司会役を務めたのが、妻であり『ナイトメア・アリー』(2021年)の脚本を共同執筆したキム・モーガンだからか、とてもリラックスした様子で現れたデル・トロは、ミントティーを「美味しい」と何度もお代わりしながら、話が止まらないといった様子で語りまくった。

ギレルモ・デル・トロ監督@マラケシュ国際映画祭 photo: ©B_DAUCHEZ-FIFM25-45

「たとえ滑稽に見えても、理解されなくても構わない」

――話題はまず新作から始まった。子供のときから構想していた“フランケンシュタイン”がついに完成し、「いまは産後の鬱のような状態です」と笑いながらも、この題材との出会いを語った。

7歳のときにたまたまテレビで放映されていたボリス・カーロフ版の『フランケンシュタイン』(1931年)を観て、当時は日曜日に教会に通わされていたのですが、カーロフこそ僕の宗教だ! と思ったのです。彼のなかに自分を見出し、宗教的とも言えるエクスタシーを感じました。とても奇妙な子供だったのです。

それから11歳のときに近所のスーパーで偶然、メアリー・シェリーの原作を発見し、1日で読み終えました。その頃にはすでにスーパー8で映像を撮っていたので、いつかこのクリーチャーの物語を映画にしたいと思いました。

またメアリーの履歴を読んで、彼女にも共感しました。というのも、メアリーの母親は彼女を産んですぐに亡くなっているのですが、わたしの祖母も母を産んですぐに亡くなっていたからです。また母は流産したことがあり、いつまたそういう機会がやってきて母を奪われたらどうしようという恐怖を感じていました。それで、まるで自分が18歳のヴィクトリア朝時代のメアリーになったような気がしていました(笑)。

ギレルモ・デル・トロ監督@マラケシュ国際映画祭 Photo© JM VIGNERES FIFM 2025

――続いて古典を映画化する上での、自身の信条について触れた。

メアリーのテキストを、もっと現代的で生き生きとしたものにしたいと思いました。思うに、古典小説を映画化するときに忘れてならないのは、それが書かれたとき、誰もそれを“古典”とはみなしていなかったということです。その当時はとても生き生きとしたものだったはずだし、止むに止まれぬ衝動で作られたものだと思います。

わたしはメキシコ人なので、エモーションというのはわたしにとってとても大切なものです。でも今日の世界で、エモーションというものは恐れられている。感情は隠すもの、抑制すべきもの、あるいは恥ずべきものといったような。シニシズムが知的だと勘違いされている。もしもあなたが「わたしは愛を信じる」と言ったら、馬鹿だと思われるでしょう。「愛なんて信じない」と言った方が賢いと思われる。でも、わたしはそういった考えには反対です。

わたしはこの映画をオペラのような、とてもエモーショナルな作品にしたいと思いました。たとえ滑稽に見えても、理解されなくても構わない。いまの時代こそ、ロマン主義というものが人間の魂にとって必要なものとして再評価されるべきだと思います。ですからこの作品をいまという時代に作ることができたのは、良かったと思っています。

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「わたしは死の大ファンですよ。メキシコ人ですから、死を心待ちにしています(笑)」

――さらに俳優の演技について。

演技において、わたしは<感情的な真実>にこだわっています。それは必ずしも<自然に見える>ということではない。たとえばヴィクター博士を演じたオスカー・アイザックには、ケン・ラッセルの『肉体の悪魔』(1971年)を観てもらいました。この作品のオリヴァー・リードは“ナチュラル”とはかけ離れていますが、真実味があります。彼はもっとも真実味にあふれた俳優のひとりです。

スタンリー・キューブリックとスティーヴン・スピルバーグの俳優に関する有名な会話を知っていますか? あるときスピルバーグが、「わたしは『シャイニング』(1980年)が苦手なんです」と言うと、キューブリックが「君の好きな俳優は誰かね?」と訊いて、「ゲイリー・クーパーです」とスピルバーグが答えると、キューブリックは「ジェームズ・キャグニーはどうかな? 彼はわたしがもっとも好きな俳優だ。なぜならキャグニーは“自然な俳優”ではないが、そこにはつねに真実があるからだ」と言ったのです。わたしもそれに同意します。

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――また「父性」というテーマにおいて、本作と『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』は対のような作品だと解説する。

両作品には、究極の和解が描かれています。ピノッキオについてわたしが思ったのは、なぜ彼は人間の少年にならなければいけないのか。なぜそのままではだめなのか。なぜピノッキオが少年になるのを学ぶのとは対照的に、ゼペットは父親になることを学ばないのか。

そして両作をご覧になった方ならお気づきかもしれませんが、『ピノッキオ』の最後のセリフは、『フランケンシュタイン』の最後の瞬間と通じるものがあります。彼らは対局にいます。片方は死ぬ運命、もう片方は不死身。でも自分にとって、不死身なのは良いことではない、いまいましいことです。

じつはわたしが注目している、人々が信じる3つの神話があります。ひとつ目は富。なぜ人々は富に執着するのか。富など意味をなさない世界に生きているというのに。

2つ目は恋愛のロマンチシズム。みんな恋愛に完璧なものを求めるけれど、そういった考えがすべてを台無しにしてしまうのです。

さらに3つ目が、長生きしたいということ。なぜ誰もが長生きにこだわるのか? わたしは死の大ファンですよ。メキシコ人ですからね(笑)、死は身近なものです。わたしにとって死は何か良いものです。

死を心待ちにしています(笑)。なぜなら人は死んだらすべてのトラブルから解放されるから(笑)。ピノッキオがそうです。逆にフランケンシュタインのクリーチャーは永遠に解放されない。

Netflix映画『フランケンシュタイン』独占配信中

とにかく、ピノッキオとフランケンシュタインにはパラレルな要素がありますし、どちらも父性――フランケンシュタインは創造における父という比喩ですが――それについてのテーマがある。そして父性ということに関して言うなら、幸か不幸か父親になるためのライセンスというものは存在しない。ビール一杯飲むだけで、父親になれてしまう(笑)。たとえ心の準備ができていなくても、誰でも父親になれる可能性はあるわけです。

Netflix映画『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』独占配信中

自分も40代で初めて父親になってわかりましたが、子育てというのはとても大変で、ときには間違った選択をしてしまうこともある。そんなとき子供が親に教えてくれたり、救ってくれたりするのです。そして自分では見えなかったものが見えてきたり、自分は誰かということがわかったりする。こういう経験を経てから『ピノッキオ』を作ることができたのは、結果的にラッキーだったと思います。

映画の最後になって、ゼペットは初めてありのままのピノッキオを受け入れる。それは癒しの瞬間です。これこそ寓話が癒しとなり得ることだと思うのです。寓話とは本来子供のための話ではなく、大人のためのものだとわたしは思っています。

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――独特の「デル・トロ節」に彩られたトークは、途中作品の抜粋上映を挟みながら、なんと2時間にも及び、興奮のうちに幕を閉じた。

取材・文:佐藤久理子

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