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「虐殺再現ドキュメンタリー」の鬼才監督が“自己欺瞞”を描くミュージカル劇『THE END(ジ・エンド)』濃厚インタビュー

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ライター:#遠藤京子
「虐殺再現ドキュメンタリー」の鬼才監督が“自己欺瞞”を描くミュージカル劇『THE END(ジ・エンド)』濃厚インタビュー
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「ハリー・ポッターの魔法学校みたいなことが起こるんです」

――次の質問はちょっと退屈かもしれないんですが。

いいですよ。2、3問くらい退屈な質問もしたいでしょう。

――ありがとうございます。歌詞はどのように書いていかれたんでしょうか。脚本を書くのと歌詞を書くのは、どう違っていましたか。

脚本を書くのは、どのプロセスでも魔法のようでした。頭の中にあったことが突然、現実に現れるのを見るわけです。自分が探求してきたビジョンのエッセンスを体現したようなものが、俳優の顔に浮かんだりするんです。歌詞を書くのはもっと特別な、魔法のような感じがしますね。

ジョシュ・シュミット(※本作の劇伴を手がけた作曲家)と一緒に歌を作っているときに――彼もセットに来てくれたんですが――彼は歌詞から曲を作り出すので、こちらに頼んでくるんです。それがすごく難しかったし、最初は不満も感じました。登場人物はみんなリッチで、自分たちがいい人生を生きていると絶望的に納得しようとしているけれど、それがうまくいかないことはもう脚本の段階でわかっているわけですよね。しかも、歌詞は「韻」を踏まないといけない。韻があることで、登場人物の内心のモノローグがより類型的になるわけです。

最初はすごく大変でした。でも、やっと出来上がってそれを作曲家に送ると、ハリー・ポッターの魔法学校みたいなことが起こるんですよ。自分が何をしているのかもわからないままにね。ジョシュは魔力を使っているかのように曲を生み出すんです。私たちはコロナ禍の間にリモートワークで仕事をしていたんですが、たった数時間後とか翌日に突然電話をかけてきて、それがどれも信じられないくらいいい曲なんです。

脚本を書くのも楽しかったですね。脚本も歌詞も、書いてみようと思ったことすらなかったんです。この種のことができる能力が自分にあるとは思っていなかったので、まったく考えもしなかった。撮影監督のやり方をミハイル・クリチマンに学び、編集をニルス・ペー・アンデルセンに学んできましたが、まさか曲づくりを学べるなんて……。でも歌詞も脚本も同じくらい大変でした。

――脚本を完全に書き上げてから歌詞に移ったのか、それとも同時に取り組まれたんですか?

3回脚本を書いたような感じです。ミュージカルを作る場合は――私たちがそういうやり方だったということですが――まず、かなり詳細なドラフトを書いて、歌の位置を決めておきます。どこで歌が出てきて、登場人物がどう歌うのか。そこから曲作りのプロセスがあって、そこに1年くらいかかりました。それから脚本でワークショップを行いました。最終的なキャストではなく、歌入りの完全台本を使います。そこで初めて俳優を演出しました。

私はドキュメンタリー出身なので、演出はまったくやったことがなかったんです。これがすごい経験で、映画を作るうえで素晴らしいリハーサルになりました。しかし、ここで“脚本と歌がまったく合っていない”ということに気づいて、その両方に手を入れることになる。つまり全部やり直しです。私たちのゴールは12~13曲を使用する映画ではなく、音楽と脚本が全体で一つの作品となる映画だったので、交響曲を作るような感じでした。

――それはすごく時間がかかったでしょうね。

はい、本当に時間がかかりました。なにしろフィクション作品もミュージカル作品も作るのが初めてだったものですから、すべてにおいてラーニングカーブが大きかったですね。いま再びフィクション作品の計画があって、より早く作れるかはわかりませんが、プロセスについては以前よりも感覚がわかるようになりました。

「ティルダは新しいことに挑戦するのが大好きで、歌うというアイデアも気に入ってくれた」

――監督は最初にティルダをキャスティングなさったそうですが、どういう経緯でティルダが共同プロデューサーになったんですか?

歌詞を書いていたときのことですが、ノルウェーの北部で極夜でした。太陽が昇らないんです。その冬の間、ずっと空にオーロラがかかっていました。音で聞こえそうなほど厳しい寒さでした。

ある日、オーロラがきらめくのを見ていました。最初にキャスティングした俳優たちに会う準備がすでに整いつつあったんですが、まったく別の俳優の顔が浮かんできたんです。それまでデンマークの素晴らしい俳優や、ジェレミー・ストロング(『アプレンティス:ドナルド・トランプの創り方』ほか)とワークショップをしていました。ジェレミーは当時コペンハーゲンの劇場に出演していて、脚本を練っていた間は彼がこの映画で父親役を演じるはずだったんです。でも、彼では若すぎるということもわかっていました。それで結局キャストを変えて、全員をイメージし直す必要が出てきました。

オーロラを眺めながら、登場人物が自分の人生を疑い出した瞬間に歌い出すところを想像しました。願望や恐怖や疑いを、オーロラみたいに表情で表せる人でなければなりません。では、誰ならばそれができるのか? 白昼夢のように考えていたところ、突然『フィクサー』(2007年)のときのティルダが浮かんできたんです。それで「よし、まずティルダにアプローチしなければ」と考えて伝手をたどったら、彼女は新しいことに挑戦するのが大好きで、このことをチャンスだと言ってすごく喜んでくれました。脚本も気に入って、それまで映画で歌ったことはなかったのに、歌うというアイデアも気に入ってくれました。また、この映画では“登場人物が壊れそうになったときに歌う”のだと知って一層気に入ってくれて、すぐ契約書にサインしてくれました。

ほかのキャストを集めるとき、家族として関係性を構築していくとき、その関係性はリアルでなくてはならない。お互いに影響し合うことで感情的なダイナミクスが生まれるわけですが、ティルダはほかのキャストを集めるときにも声をかけてくれたんです。「もしジョシュアのドキュメンタリーを知らないのなら、観て。でも脚本を読んでよ。参加するかどうかということじゃなく、“傑作を一緒に作る”ということなの」と言ってくれて、これはプロデューサーがやるべき仕事と同じですよね。それで公平さや正確さを期すつもりで、プロデューサーとしてもクレジットしたんです。

『THE END(ジ・エンド)』©Felix Dickinson courtesy NEON ©courtesy NEON

――ティルダは『アクト・オブ・キリング』のファンだったんでしょうか? 私が『アクト・オブ・キリング』が好きで、ティルダも大好きなので……。

ありがとう。ティルダは『アクト・オブ・キリング』を観ていると思います。あの映画について結構、話してくれたんですよ。「『THE END』の最後の歌は、『アクト・オブ・キリング』で(殺人を)再現する演劇で生まれたものに似ている。またヒビが入り始めている」と言っていたので。彼女は「『アクト・オブ・キリングの』演劇の再現シーンを、歌を作って作り直したらいいのに」とまで言っていました。ティルダが、最初にそういうことを話しあった人でした。

「こんなにもミュージカルが嫌いな人が多いとは思いませんでした」

――監督は当初からご自身の3作目をドキュメンタリーではなく、フィクションにするつもりだったんでしょうか。

いいえ、もともとは『アクト・オブ・キリング』に登場する民間軍事組織のリーダーを務めていた超富裕層のドキュメンタリーを撮りたいと思っていたんです。その男は水晶をコレクションしていて、映画でもごく短くそのシーンを入れています。

哲学者のヴァルター・ベンヤミンが「文明世界のすべての工芸品というものは、同時に暴力と搾取による野蛮の産物である」と言っていて。すごく興味深いと思うんですが、この種の富裕層というのは、美しかったりものすごく贅沢だったりする家を作り上げていて、同時にそこは血みどろの暴力で建った家でもある。その地位にたどり着くまでに、国家の公共財産を盗み、大量殺人に加担してきたわけで、そのこと自体に自分で恐怖を感じてもいるんです。

そういう人たちのドキュメンタリーを作りたいと思っていたんですが、『アクト・オブ・キリング』の公開後にインドネシアへの入国が禁じられてしまった。それで、同じように暴力的で破壊的な方法で財産を築き上げた、オリガルヒとか億万長者といった人を探し始めたんです。そうして中央アジア出身の石油王を見つけました。その人が家族と入るためのシェルターを買っていたので、それが最終的に『THE END』のアイデアの元になったわけです。

――本当にひどい話ですが、なんというか……インドネシア警察のおかげで、こんなに普遍的で美しい映画ができたとも言えますね。

よくぞ言ってくれました。違うジャンルの映画を撮ったことを「良い」と言ってくれる人がいてありがたいです。映画を作るとき、私たちは資金調達などにもあまり慣れていなかったんですが、ミュージカルを撮ることに対してこんなにも意見が分かれるとは思っていなかったんですよ。

ミュージカルというジャンルをただただ嫌いという人たちがいて、「突然歌い出して馬鹿みたいだ」と言う。でも、なぜ“馬鹿みたい”になるかと言えば、歌詞の内容が真実ではないし、センチメンタルで、自分に嘘をついている感じがするからですよね。でも『THE END』は自己欺瞞について、人間独自の“自分に嘘をつく能力”について、現実を誤魔化しておくために自分を直視しないことについてのミュージカルなんです。

風刺のレベルだけではなく、心理レベルで本当に正直に歌っている最初のミュージカルであり、ミュージカルそのものの馬鹿馬鹿しさと、自己欺瞞の馬鹿馬鹿しさ、その自己欺瞞が個人的にも集団的にも私たちをどういうところに引きずり込むのかを示している。それなのに、ミュージカル形式だからというだけで嫌われてしまう。こんなにもミュージカルが嫌いな人が多いとは思いませんでした。登場人物が歌った瞬間に「ああ、これは自分向けじゃなかった!」という感じなんですよ。

みんな『マッド・マックス』みたいな地球破滅後のアドベンチャーを観たがるんですよね。多くの人が「君は面白いドキュメンタリーを撮ってきたのに」なんて言うんです。「なんでこれを? なんでミュージカルを? ミュージカルって馬鹿みたいじゃないか」と。だから、とてもうれしいです。インドネシア政府が私を入国禁止にしたおかげで『THE END』ができたとは! どうもありがとう!

『THE END(ジ・エンド)』は12月12日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテほか全国公開

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『THE END(ジ・エンド)』

環境破壊により地表が居住不可能となってから25年。裕福な一家——母、父、そして20歳の息子——は、改装された塩抗の奥深くにある豪華な地下シェルターで、数人の仲間と共に隔離生活を送っていた。仲間とは、母の旧友、 老齢の執事、そして医師。地下で半生を過ごしている息子は、見たことのない外の世界を体験したいと切望し、歴史上の出来事や場所の縮尺模型を作り続けている。
家族は規則正しい生活を送っている。安全訓練、屋内プールでのフィットネス、地下壕と小さな前哨基地の維持管理、母が持ち込んだ美術品の管理などが日常業務だ。また季節の移ろいを表現するため地下壕の装飾にも手を抜かない。母は全てを完璧に見せようと執着し、装飾やレイアウトの細部にまでこだわる。息子は父の回顧録執筆を手伝っている。母の友人は息子に、自分の息子が癌で病に伏せたため、地下シェルターでは生き延びられなかっただろうと語る。息子は孤独と、世界を体験したいという渇望に苛まれている。

一行はある日、坑道で意識を失った少女を発見し、どうやってこの場所を見つけたのか尋問するため連れ帰る。少女は人間が住めない地表の様子を語り、家族が川を渡ろうとして死に、自分だけが生き残ったと告白する。その後、彼女はトラウマに苛まれる。一行は少女を地表へ追い返すことに決めるが、少女は逃げ出し、地下壕を駆け抜けて彼らをかわす。彼らは致し方なく、少女を地下シェルターに迎え入れることを決断する。
少女は地下シェルターでの生活に適応するのに苦労する。母親は少女を疑い、父親に懸念を口にすると同時に、少女に彼らの生活について教え、彼女について探りを入れる。その間に、少女と息子は徐々に絆を深めていく……。

監督・共同脚本:ジョシュア・オッペンハイマー
出演:ティルダ・スウィントン ジョージ・マッケイ モーゼス・イングラム マイケル・シャノン

制作年: 2025