「創る」ということは「狂う」ということ
現在90歳の倉本聰は、既に出身地・東京より長く住む富良野の丘の上に、石碑を建てる準備をしている。6トンもあるというその石に刻まれるのは「創」という字。今は亡き緒形拳が描いた。創の文字の下には、「創るということは遊ぶということ 創るということは狂うということ 創るときは狂っている」と刻むのだという。
この倉本の言葉は、まるで創作中の津山を表しているようだが、たぶん自身の創作姿勢でもあるのだろう。ただ、キャンバスに思いをぶつけるように描く津山の絵画と異なり、脚本を執筆するには全体像を俯瞰する意識が必要だ。倉本のいう“狂う”とは、執筆前の仕事にどこまで没入できるかを指すのだと思う。登場人物に憑依するように意識に入り込み、背景にある哲学を見極めるまで物語に没入する。そうして熟成した物語を、ペンを持つ手に下ろす。後は一気呵成に執筆するだけ。
©2024 映画『海の沈黙』INUP CO.,LTD
小山薫堂が聞き手となったドキュメンタリー『倉本聰、富良野にて~創~』(NHK)で、倉本は印象的なことを言っていた。「書けなくなるとは、手の動きが思考のリズムに間に合わなくなること」だと。創作に“狂った”倉本の頭の中はこぼれ落ちそうなほどのアイデアで満ちているが、肉体がそれに追い付かないというのだ。その危機感が、『海の沈黙』を完成させることへと倉本を誘ったのだろう。
倉本聰が渾身の脚本を若松節郎監督に任せた理由
倉本が監督の白羽の矢を当てたのは、『ホワイトアウト』(2000年)、『沈まぬ太陽』(2009年)、『Fukushima 50』(2020年)など社会派大作を多く手がける若松節朗だった。『海の沈黙』の監督のオファーがあったとき、若松は「なぜ僕なんだろう?」と思ったという。そのときは、倉本の掲げた「美とは何か?」というテーマが、ピンとこなかったのだそう。
若松節朗監督 ©2024 映画『海の沈黙』INUP CO.,LTD
「どうすればやってくれるのか?」と問う倉本に、若松はもっとエンターテインメントにしたいと答えた。「せっかく本木雅弘さんと小泉今日子さんが出演するのだから、ラブストーリーの要素をもっと強化してもいいんじゃないでしょうか」と。当初の脚本には、安奈と津山が再会するシーンはなかったそう。脚本を変えることを嫌うイメージのある倉本に、若松の提案はあまりにも大胆だった。
その結果、画家たちのこじれた関係性の謎をつまびらかにしていくのは、田村の妻として現代日本美術界のキーマンとなった安奈になった。小樽での再会がないままに終盤を迎えるとすると、予告編にもある津山が海に入る理由や、札幌へ津山に会いに来た田村を、番頭(マネージャー)であるスイケン(中井貴一)が代わりに訪ねる理由も変わってくる。2人の再会はラブストーリーとしてのみならず、重要だった。
©2024 映画『海の沈黙』INUP CO.,LTD
主人公の大儀を理論的かつエンターテインメントに描くことの得意な若松節郎監督に、脚本家・倉本聰が演出を任せた理由はそこにあるのだろう。倉本聰が脚本を書いたドラマは、主人公のひとり語りが特徴だ。話を進めるなかで、様々な手法を使い、人には知られたくない心情まで細かくあぶり出し、笑わせ、泣かせる。そこに魅了され、感情が揺さぶられるのだ。
だが、大概の映画には2時間の猶予しかない。台詞で補えないところを、画と設定で理解させる必要がある。倉本が若松に託したのは、まさにそこを買ってのことなのだろう。それも、ただ小器用にこなすのではなく、ある意味、津山のように考え抜いた演出をする若松に。
©2024 映画『海の沈黙』INUP CO.,LTD
「やあ」のひと言で表現した再会までの歳月
本作は、豪華な俳優陣でも話題だ。倉本脚本の魅力であるひとり語りに代わり、心情を語る台詞の多いのは中井貴一演じるスイケン。倉本脚本のドラマにも、若松演出の映画にも出演経験のある彼が、物語をけん引する人々に代わって、少し脇から倉本の描くテーマを語る。両作家の作品を理解する中井でなければできない重要な役。
©2024 映画『海の沈黙』INUP CO.,LTD
物語をけん引するのは、本木雅弘演じる津山竜次、石坂浩二演じる田村修三や、小泉今日子演じる田村安奈ら。主要キャストとしての心情と状況を語りながらも、その存在感で情報を補足し、作品を引っ張っていく。「違うんです」の繰り返しで、〈落日〉への愛を表現した萩原聖人演じる村岡肇も素晴らしかった。
©2024 映画『海の沈黙』INUP CO.,LTD
何十年ぶりかに安奈と再会した津山が、最初に発する台詞は「やあ」と書かれていたという。その台詞の重さを十分理解していた若松監督は、そのまま本木がどう表現するかを見守ったという。このシーン、津山が発するニュアンスに注目して見てほしい。本木の「やあ」の解釈が生み出したのは、2人のときめきか。倉本の脚本を、若松が演出する意味を実感する瞬間でもあった。
文:関口裕子
『海の沈黙』は1月20日(月)より「J:COM STREAM」にて独占配信中
『海の沈黙』
世界的な画家、田村修三の展覧会で大事件が起きた。展示作品のひとつが贋作だとわかったのだ。この絵を描いたのは一体、誰なのか? 連日、報道が加熱する中、北海道で全身に刺青の入った女の死体が発見される。このふたつの事件の間に浮かび上がった男。それは、かつて新進気鋭の天才画家と呼ばれるも、ある事件を機に人々の前から姿を消した津山竜次だった。かつての竜次の恋人で、現在は田村の妻・安奈は北海道へ向かう。
もう会うことはないと思っていた竜次と安奈は小樽で再会を果たす。しかし、病は竜次の身体を蝕んでいた。残り少ない時間の中で彼は何を描くのか? 何を思うのか? 彼が秘めていた想いとは?
本木雅弘
小泉今日子 清水美砂 仲村トオル 菅野恵 / 石坂浩二
萩原聖人 村田雄浩 佐野史郎 田中健 三船美佳 津嘉山正種
中井貴一
原作・脚本:倉本聰
監督:若松節朗
制作年: | 2024 |
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1月20日(月)より「J:COM STREAM」にて独占配信中
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