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『RRR』“最強の肩車”の原点?日本との繋がりも! ボリウッドの古典作『炎』はインド映画史の基礎教養

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ライター:#安宅直子
『RRR』“最強の肩車”の原点?日本との繋がりも! ボリウッドの古典作『炎』はインド映画史の基礎教養
『炎』
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蘇った「マルチスター映画」

2年半の製作期間と、当時としては空前の3千万ルピーを費やした本作は、ボリウッドではしばらく作られていなかった「マルチスター映画」でもありました。今でこそボリウッドの唯一無二の大御所であるアミターブ・バッチャン、撮影開始の時点ではまだヒットに恵まれない新進俳優で、クレジットの順番も、ダルメーンドル(ヴィール役)、サンジーウ・クマール(タークル役)、へーマー・マーリニー(バサンティ役)に次ぐ4番目でした。本作と、本作撮影中に封切られた『Zanjeer』(1973年、未)、『Deewar』(1975年、未)の大ヒットにより、アミターブは「怒れる若者」型ヒーローの代表格となり、やがてボリウッドは彼の「ワンマン・インダストリー」と言われるまでになるのです。

『炎』

悪役ガッバル・シンを演じたアムジャド・カーンも、演劇界出身でボリウッドでは無名でした。クルーの中には彼のピッチ高めの声が極悪人に相応しくないのでは?という懐疑的な意見が封切り直前までありました。しかし、本作が世に出るとガッバルは大評判となり、特に子供たちにバカウケしてビスケットのCMに出るまでに。このキャラクターは脚本の時点で非常に魅力的なものだったので、当初はサンジーウ・クマールやアミターブ・バッチャンまでもがガッバル役を希望したそうです。そのガッバルが身に纏うのが、ダコイトの定番だったドーティー(腰布)にターバンではなく、着崩した軍服というのはラメーシュ・シッピー監督の独創でした。

その影響、日本との繋がり、検閲との戦い

1975年8月15日に封切られた『炎』。批評家からの評価はいまひとつで、最初の3日ほどの興行成績も思わしくなく、製作者を落胆させましたが、初週後半から口コミで観客が増えて大ヒットになり、2週目には観客の多くがスクリーンに合わせて台詞をそらんじるまでになっていたといいます。

5年間のロングランを達成した本作は、常にそこに立ちかえる古典という位置づけとなり、リバイバル上映も幾度も行われ、その後に作られる映画にもしばしば引用されるようになりました。『スーパー30 アーナンド先生の教室』(2019年)では「バサンティ 犬共の前で踊るな!」というセリフを歌にした長大なシーンがありますし、『RRR』(2021年)の「ドースティ」ソングには、歌詞にもヴィジュアルにも明らかに「この友情は壊すまい」(Yeh Dosti)へのオマージュがあります。

また本作は、ハリウッドの西部劇『荒野の七人』(1960年)を発想の源泉としており、よく知られているように、同作は黒澤明監督の名作『七人の侍』(1954年)の翻案なので、日本との縁もあることになります。

映画史に燦然と輝く『炎』ですが、時代の制約とは無縁ではありませんでした。封切り当時の1975年は、インディラー・ガーンディー首相が敷いた非常事態令(1975~1977年)の只中で、映画の検閲も強化されていました。検閲委員会は本作のエンディングを問題視し、大幅に変更しなければ認証しないとして、どんな交渉にも応じず、結局クライマックス・シーンは撮り直しに。製作者が本来意図していたオリジナルのエンディングは、現在はインターネット・アーカイブ上にあるディレクターズ・カットとして観ることができます。

文:安宅直子

『炎』はCS映画専門チャンネル ムービープラス「ハマる!インド映画」で2023年9月放送

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『炎』

2人組の泥棒ヴィールとジャイは、かつて勇敢な警部として名を馳せたタークルから呼び出される。警官を辞めて今は村長となったタークルの依頼は、彼の村を襲う盗賊の頭目の生け捕りだった。2人は収穫期に穀物を奪おうと襲ってきた盗賊の手下を撃退したが、一味は再び村を襲撃するのだった……。

監督:ラメーシュ・シッピー
出演:ダルメーンドル アミターブ・バッチャン サンジーウ・クマール

制作年: 1975