黒澤明のDNAがキュアロンに継承された映画『ROMA/ローマ』

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ライター:#髙橋直樹
黒澤明のDNAがキュアロンに継承された映画『ROMA/ローマ』
Netflixオリジナル映画『ROMA/ローマ』独占配信中
『ゼロ・グラビティ』のアルフォンソ・キュアロン監督が、政治的混乱に揺れる1970年代のメキシコを舞台にひとりの家政婦と雇い主一家の関係を描く。Netflixオリジナル作品でありながら、本年度アカデミー賞で最多となる10部門にノミネートされている。
※このコラムには、映画の内容に触れた記述があります。あらかじめご了承の上、お読み下さい。

なにが起こるわけではない日常の一断片を俯瞰する

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昨年のヴェネチア国際映画祭“金獅子賞”受賞を皮切りに賞レースを席巻し、アカデミー賞最有力作品と呼び声の高いアルフォンソ・キュアロンの最新作『ROMA/ローマ』は、故郷であるメキシコを舞台に、世界が大きな変革を迎えた1970年からの約一年間を描いた作品だ。メキシコの裕福な中流家庭で働くひとりの女性の日常、何の変哲もない毎日の中で起こる特別な出来事を通して、「生きる」ということを問いかける作品だ。

冒頭、カメラは正方形の石畳の上を流れる水を俯瞰する。小鳥がさえずり、ブラシで石をこすり、水を流す掃除の音が聞こえる。埃や塵、飼い犬の糞などを洗い排水溝に溜まった水は、新たな流れが加わってもう一回り大きな形を作る。鏡のような水面は晴れた空を行く飛行機を写し出す。背後では掃除が続けられ人の営みが伝わってくる。なにが起こるわけではない日常の一断片を俯瞰する。この映像によって、我々は『ROMA/ローマ』が描こうとすることを感じとる。

どうやらこの石畳は廊下のようだ。じっと真下を見つめていたカメラは掃除を続けていた女性を追って静かに移動し、家政婦として働く彼女の日常を追うことで物語を紡ぎ始める。毎日の営みと昨日とは異なる新たな出来事が重なり合い、人の暮らしが形作られていく。そんな当たり前の、とても愛おしい時間の流れ。

この家には、医師として働く主人と研究者の妻と4人の子どもたち、おばあさんが共に暮らしている。廊下の先には別棟に暮らす彼女ともう1人の家政婦が同居し、階下には使用人が住んでいる。石造りの廊下は、彼女が生きる家の起点となる場所だ。住民たちは、この廊下から外に駆け出し、それぞれの一日を過ごして再び帰ってくる。外からのクラクションに愛犬が吠え、開かれた扉から車幅ギリギリの車が神経質に入ってくる。陽光を浴び、時には雹が降り注ぎ、大空を飛行機がゆっくりと横切っていく。

「天の視点から、人間のやっていることを俯瞰の目で見て描きたい」

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この言葉は、1985年の『乱』製作時に黒澤明が残した言葉だ。キュアロンが呈示する冒頭の俯瞰には、黒澤明へのリスペクトが込められている。そして、監督が最もこだわったのは、僕たちが初めて出会う女性、クレオが生きる1970年~71年という時間を、彼女と共に生きる体験を与える作品を作ることだった。家政婦が暮らす家、コカコーラが新鮮だった頃のメキシコの喫茶店、映画館へと続く猥雑な街路と行き交う群衆、病室での診察、ボーイフレンドを追ってバスから降りる荒れた湿地、高原に立つ砂埃に至るまで、細やかな労力によって彼女が生きた時代を現出させる。そのために費やされた映画人たちの労力と情熱には感服するばかり。

例えば、子ども部屋を見ると当時の世界が垣間見える。キュアロン監督が少年時代を過ごした部屋を再現したその空間には、ワールドカップ・メキシコ大会(1970年開催)のポスターが貼られ、前年に月面着陸に成功したニール・アームストロングの姿も見つけられる。居間ではブラウン管から3人のお笑いトリオが家族を笑わせる。1968年にオリンピックが開催されたメキシコは、誰もが明日への希望を感じていた時代を迎えていたのかも知れない。だが、1971年6月には、制度的革命党の圧政に反発する「血の木曜日事件」と呼ばれる大規模な学生デモが起こる変化の時代でもあった。

キュアロンが、黒澤明のDNAを更なる高みに昇華させる

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『どん底』(1957年)や『野良犬』(1973年)、先に引いた言葉を引用するまでもなく、『ROMA/ローマ』は黒澤明へのリスペクトに満ちた作品だ。その最も象徴的な描写が、哀しみの横に歓喜を重ねるという独特の技法だ。真逆の感情を映像と音楽、ひとつの画面にふたつの異なる心象を同時に描く対位法(コントラプンクト)は、彼女の姿にもうひとつの別の感情(映像や音楽)を重ねる技法だ。ふたつの映像を対位させることによって、心の風景がより鮮明に伝わる。

映画館から姿を消したボーイフレンドを探して出口に佇む彼女の横では、まるでお祭りのような物売りの声が響く。別れることを決めた夫を見送る妻の傍らを軽快な音楽を奏でる楽団が通り過ぎる。新年の乾杯をした矢先、ダンスを楽しむ女の背中が彼女を押してグラスが粉々に砕けてしまう。新年を祝う人々の狂騒の最中に山火事が起こる。夫との別離を覚悟した母と子どもたちが失意の底に沈む姿を無邪気な蟹のオブジェが見下ろし、彼らの傍らでは満面の微笑みで結婚を祝う人々の姿が同居する。歓喜の声や喧噪が、深く沈む彼らの心をさらに鮮明に浮き立たせる。これこそ、黒澤の初期の作品に数多く見られた心象描写の手法だ。その最も象徴的なシーンこそ、祖母に連れられて、揺りかごを求めて家具店を訪れるシーンだろう。

カメラは混乱する街を歩く彼らの姿を追う。デモを続ける学生たちに紛れても横移動を続ける。すると、群衆に紛れて見えなくなった彼らが再び姿を現し家具店へと入っていく。街路の雑踏が嘘のように静かな店内で、品の良い揺りかごに微笑んだその時、けたたましい衝突の音が鳴り響く。銃声が続き、窓越しに見下ろした街路には、まさに今「血の木曜日事件」が起こった瞬間が現出し、同じ空間に臨場したかのような感覚に包まれる。

アルジェリア独立戦争の当事者たちが出演し、時代をとらえたジッロ・ポンテコルヴォ監督の傑作『アルジェの戦い』(1966年)を彷彿とさせる圧巻の臨場体験には、もう一つ重要な黒澤イズムが宿る。「映像の力」を確信していた黒澤明は、群衆一人一人の所作にまでこだわった演出で知られている。『ROMA/ローマ』の中に息づく群衆の誰もが、エキストラとしてそこにいるのではなく、それぞれに目的を持って自分を生きている。すべてのシーンに登場する彼女と共に時代を生きる人々は、車を走らせる運転手も、咥えたばこで街を急ぐ男も、剣術の教師と弟子たちも、デモに駆られた青年たちも、病院の医師たちも、再現された映画『宇宙からの脱出』に登場する役者まで、誰もがこの映画の時間を生きている。

だが、キュアロンにとって大事件となったデモを描くことに主眼はない。彼女の目の前で起こった大きな事件であることが重要なのだ。彼女が生きた時代の空気感を観客と共有するためにキュアロンが選んだのは、家具店の窓=「映画の中の画面」を通してデモを描くことだった。黒澤明のDNAを継承したキュアロンは、映画の表現力を更なる高みへと押し上げた。映画という特別な体験を、65㎜フィルムで撮影されたモノクローム映像という“不変”性を活かすことで、普遍の物語へと昇華させたのだ。

映画のラストで、夫との別離を決意した家の主(家長となった妻)は、子どもたちとクレオを伴ってビーチへと家族旅行に出かける。そこには、悲劇的な出来事が待ち受ける予感に満ちている。でも、天から降り注ぐ太陽の光は彼女に向かって輝き続ける。泳げない彼女は、それでも波打ち際から海に向かってまっすぐに進んでいく。太陽の光を浴びながら、ただまっすぐに進んでいく。その姿は凜として美しい。いつまでも見つめていたい。

なぜ、メキシコで家政婦として暮らす平凡な女性の物語が、世界の人々に感動をもたらすのか。その秘密を紐解くために、映画という世界共通言語を象徴する黒澤明の言葉を引いておこう。「私は、言葉こそうまく喋れないが、世界中の何処の国へ行っても、なんの違和感も感じないから、私の故郷は地球だと思っている。」(※「蝦蟇の油-自伝のようなもの」より)

文:髙橋直樹(T-Basic.代表)

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【特集:第91回アカデミー賞】

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『ROMA/ローマ』

政治的混乱に揺れる1970年代のメキシコ。ひとりの家政婦と雇い主一家の関係を、アカデミー賞受賞監督アルフォンソ・キュアロンが鮮やかに、かつ感情豊かに描く。

制作年: 2018
監督:
脚本:
出演: