229分の長尺が観客に求めるのは、同情ではなく応答
少年院に入る子どもの数は、この20年あまりで大きく減った。2000年前後に年間6000人前後だった新規の入院者は、近年は1000人台で推移している。少年による刑法犯の検挙人員も、長期的には大幅な減少が続いてきた。
ところが世の中の体感は逆である。闇バイトで強盗に加わった10代のニュースが流れるたび、「少年犯罪は凶悪化している」「少年法は甘い」という声が高まる。2022年4月には改正少年法が施行され、18歳と19歳は「特定少年」として、起訴されれば実名報道が可能になった。数は減っているのに、まなざしは厳しくなっている。
このねじれのただなかに、坂上香監督の新作『コール&レスポンス』が公開される。九州の三つの少年院で行われたラップのワークショップを記録した、前後編あわせて229分のドキュメンタリーだ。作品資料によれば、少年院でのラップ・ワークショップは日本で初めての試みだという。
『コール&レスポンス』©2026 Kaori Sakagami
坂上香が撮り続けてきたもの
坂上監督は、米国の終身刑受刑者の更生プログラムを追った『Lifers ライファーズ 終身刑を超えて』(2004年)、元受刑者やHIV陽性の女性たちの演劇を記録した『トークバック 沈黙を破る女たち』(2013年)、そして日本の刑務所に初めて長期でカメラを入れた『プリズン・サークル』(2020年)で知られる。
一貫しているのは、「暴力の後を人はどう生きるか」という問いと、「語ること」への信頼である。『プリズン・サークル』では、島根県の官民協働刑務所で行われている、受刑者同士が輪になって自分の過去を語り合うプログラムを2年にわたって記録した。そこで明らかになったのは、加害者の多くが、加害の前に被害を受けていたという事実だった。殴られ、放置され、いじめられてきた記憶を、彼らはそれまで言葉にしたことがなかった。自分の痛みを語れない人間は、他人の痛みを想像できない。語ることが、罪と向き合う前提になる。
新作は、その探求を少年院に移し、語りの形式を対話からラップに変えた。
『コール&レスポンス』©2026 Kaori Sakagami
なぜラップなのか
少年院にいる子どもたちの背景を示す調査がある。法務省の調査では、少年院在院者のうち、保護者などから身体的虐待や性的虐待、ネグレクトといった被害を受けた経験があると答えた割合は、男子でおよそ4割、女子では7割前後に達するとされる。学校を早くに離れた子も多く、読み書きに困難を抱える例も少なくない。
少年院の矯正教育には、作文や日記、面接がある。しかし、整った文章で内省を書くことを求められたとき、言葉を持たない子は、大人が望む「反省の型」をなぞるしかない。「被害者の方に申し訳ないことをしました。二度としません」。それは嘘ではないが、本人の言葉でもない。
『コール&レスポンス』©2026 Kaori Sakagami
ラップは、そこに別の回路を開く。韻を踏むという制約は、きれいな文章を書く能力を問わない。むしろ、育った街の言葉、仲間内の言い回し、怒りや恥といった感情の生々しさが、そのまま表現の強度になる。リズムに乗せれば、面と向かっては言えないことが言える。ヒップホップがもともと、貧困と差別のなかで声を奪われた若者たちの表現として生まれたことを思えば、少年院とラップの組み合わせは奇抜どころか、筋が通っている。
作品資料によると、少年たちはまず自分の「MCネーム」を決める。少年院では通常、互いの本名や事件について話すことは制限される。番号や名字で呼ばれる場所で、自分で自分に名前をつける。その行為がすでに、与えられた「非行少年」というラベルとは別の自己を立ち上げる一歩になっている。
『コール&レスポンス』©2026 Kaori Sakagami
少年院は「罰の場所」ではない
ここで、少年院という施設について整理しておきたい。誤解されがちだが、少年院は刑務所の少年版ではない。家庭裁判所の審判で「保護処分」として送られる教育施設であり、目的は処罰ではなく立ち直りの支援にある。在院期間はおおむね1年前後。少年たちは法務教官と寝食をともにしながら、生活指導、教科教育、職業指導を受ける。
入院者が減ったことで、各地の少年院は統廃合が進んでいる。全国に40余りある施設のうち、今回の撮影に協力したのは3か所だった。この数字は、撮影の難しさを物語る。少年のプライバシーは厳重に守られなければならず、顔を映すことはできない。施設側には、外部の人間とカメラを入れることへの慎重さがある。坂上監督は前作『プリズン・サークル』で、刑務所の撮影許可を得るまでに6年を要したと語ってきた。閉ざされた場所にカメラが入ること自体が、ひとつの出来事なのである。
顔を映せないという制約は、表現上の弱点に見える。だが、ラップを主題にした本作では、その制約が逆に働く可能性がある。表情に頼れない分、観客は声と言葉に集中するしかない。声の震え、言いよどみ、韻が決まった瞬間の息づかい。顔が見えないからこそ、「非行少年」という視覚的な類型から離れて、一人ひとりの言葉を聴くことになる。
もうひとつ、数字を挙げておく。少年院を出た人が、数年のうちに再び少年院や刑事施設に入る割合は、追跡期間5年でおよそ2割とされる。裏を返せば、多くは戻ってこない。それでも2割という数字は軽くない。そして、戻ってくる子どもたちに共通するのは、出院後に孤立していたことだと、更生支援の現場では繰り返し指摘されてきた。
『コール&レスポンス』©2026 Kaori Sakagami
「応答」があるということ
タイトルの「コール&レスポンス」は、演者の呼びかけに聴き手が応える、黒人音楽に由来する掛け合いの形式を指す。本作の核はここにある。
少年たちが書いたリリックは、塀の外にいる市民のラップチームに届けられる。市民の側がそれに返歌をつくる。ある少年院では、少年たちと市民チームが直接交流したという。別の少年院では、加害や被害の経験を持つ、立場の異なる大人たちが出会うなかでラップが生まれたとされる。
矯正教育の多くは、内省を求める。自分を見つめ、反省を深めよ、と。だが、発した言葉に誰も応えないなら、内省は独り言で終わる。少年院を出た子どもが再び非行に戻る背景として繰り返し指摘されるのは、反省の不足より、帰る場所と待っている人の不在である。仕事がない、住む場所がない、連絡できる大人がいない。そこに手を差し伸べるのが、かつての仲間だけだったとき、再犯は意志の弱さではなく、関係の欠落の結果として起きる。
外の大人が、少年の言葉に言葉で返す。評価でも指導でもなく、応答する。それは小さなことに見えて、少年院という制度がこれまで持ちにくかった回路である。
『コール&レスポンス』©2026 Kaori Sakagami
壁の外側にいる私たちの心理
坂上監督は本作に寄せて、現代社会に「見えない壁」が張りめぐらされ、「私たち」と「あの人たち」の線引きが強まっているという趣旨のことを述べている。
少年事件のたびに噴き出す厳罰感情を、単純に愚かだと言うことはできない。被害者や遺族の痛みは現実であり、加害者の生い立ちを語ることが被害の軽視に聞こえる瞬間は確かにある。そのうえで、厳罰を求める声の底には、もうひとつ別の心理も働いている。「あの子たちは自分たちとは違う種類の人間だ」と考えることで得られる安心だ。育った環境が違えば、自分や自分の子どもも同じ場所にいたかもしれない。その可能性を認めるのは不安である。壁は、中の人間を閉じ込めるだけでなく、外の人間の不安を鎮めるためにも建てられている。
近年、匿名・流動型犯罪グループ、いわゆるトクリュウによる事件で、SNSの求人に応じた10代が実行役として使い捨てられる構図が目立つ。彼らは加害者であると同時に、大人の犯罪組織に搾取された側でもある。厳罰は実行役を社会から切り離すが、切り離された若者を次に拾うのが誰なのかを考えなければ、問題は先送りされるだけだ。
2025年6月には、懲役と禁錮を一本化した「拘禁刑」が導入され、刑罰の目的として改善更生がより明確に位置づけられた。制度の言葉は「罰から立ち直りへ」と動いている。世論の感情との隔たりを埋めるものがあるとすれば、統計や法律の解説より、塀の中の人間が何を考え、どんな言葉を持っているのかを知る経験だろう。本作はそのための229分である。
『コール&レスポンス』©2026 Kaori Sakagami
被害者は、どこにいるのか
加害者の更生を語るとき、必ず投げかけられる問いがある。被害者はどうなるのか。
この問いは正当である。少年事件の被害者や遺族は、長いあいだ、手続きの外に置かれてきた。審判は非公開で、加害少年がどんな処分を受け、少年院で何を学び、いつ社会に戻るのかを、被害者は知ることができなかった。加害者には国の費用で教育が与えられるのに、被害者には何の支援もない。その不公平感が、厳罰を求める声の底流にある。
制度は少しずつ変わってきた。被害者が審判を傍聴できる場合が認められ、処分の結果などの通知を受けられるようになった。2023年12月には、刑務所や少年院にいる加害者に対して、被害者や遺族が自分の心情を伝えることができる制度が始まった。職員が被害者から話を聴き取り、それを加害者本人に伝える。被害者が望めば、伝えたときの加害者の反応を知ることもできる。
被害者の言葉を聴くことは、加害者にとって、もっとも苦しく、もっとも重要な経験になりうる。自分のしたことが、一人の人間の人生に何をもたらしたのか。それを知らないまま、形だけの反省文を書いて出ていくことのほうが、よほど被害者を軽んじている。
本作で、加害と被害、それぞれの経験を持つ大人たちが少年院で出会う場面があると伝えられているのは、この流れの中に置いて理解できる。欧米で実践されてきた修復的司法は、加害者を罰することに加えて、被害者、加害者、地域社会が対話を通じて、壊れたものの回復を目指す考え方である。すべての事件に適用できるものではないし、被害者に対話を強いることがあってはならない。ただ、被害者の声が届く場所に加害者を立たせることは、厳罰とは別の形で、責任を取らせることである。ラップは自分の痛みを語る道具であると同時に、他人の痛みを聴く耳を育てる訓練にもなる。そこまで描かれているかどうかを、確かめたい。
『コール&レスポンス』©2026 Kaori Sakagami
観客も一人の参加者として、この映画を観る
長尺には理由があるはずだ。人が自分の言葉を見つけるまでには時間がかかる。最初は借り物のフレーズしか出てこない少年が、何週間もかけて一行を書き直す。その遅さを省略して「感動的な完成曲」だけを見せれば、それは更生の美談として消費される。坂上監督の過去作がそうであったように、本作もおそらく、うまくいかない時間、黙り込む時間をそのまま映しているだろう。観客は、退屈や居心地の悪さも含めて引き受けることを求められる。
注意したいのは、二つの安易な見方である。ひとつは、「かわいそうな子どもたちがラップで救われた」という物語に回収すること。ワークショップは魔法ではない。出院後の住居、就労、人間関係という現実の課題は、一曲のラップでは解決しない。もうひとつは、被害者の存在を忘れること。作品資料が、被害の経験を持つ大人の参加に触れているのは重要だ。加害者の声を聴くことと、被害者の声を聴くことは、二者択一ではない。両方が同じ場にあるとき、はじめて対話は現実のものになる。
監督は、観客も一人の参加者として「コール&レスポンス」を体験してほしいと語っている。上映後に何を返すのか。少年院や刑務所を出た人を雇用する協力雇用主は全国に2万社以上が登録しているが、実際に雇用している事業者はその一部にとどまるとされる。保護司は高齢化し、なり手不足が深刻だ。応答の方法は、拍手のほかにいくらでもある。
映画館を出たあと、次に少年事件のニュースを見たときに、反射的に壁を高くする言葉を口にする前に、一拍おけるかどうか。本作が観客に求めているレスポンスは、まずそこから始まる。
『コール&レスポンス』©2026 Kaori Sakagami
【作品情報】
『コール&レスポンス』 2026年12月5日(土)より〈東京〉シアター・イメージフォーラム、ポレポレ東中野、〈大阪〉第七藝術劇場ほか全国順次公開/監督・編集・プロデューサー:坂上香/撮影:南幸男、坂上香/製作:out of frame/配給:東風/