“映画”を通して“映画とは何か”を探る「『河童の家』芝田日菜監督特集」2週間限定レイトショー決定

“映画”を通して“映画とは何か”を探る「『河童の家』芝田日菜監督特集」2週間限定レイトショー決定
「『河童の家』芝田日菜監督特集」

劇場公開初となる「『河童の家』芝田日菜監督特集」が、4月18日(土)よりシアター・イメージフォーラムにて2週間限定レイトショーが決定した。このたび、メインビジュアルが解禁となった。また、著名人と監督からコメントが到着した。

芝田日菜監督の3作品を同時上映

従来の映画づくりにとらわれず、「撮る」ことを通してメディアとしての映画の再発見を試みる芝田日菜。現在、東京藝術大学大学院先端芸術表現科に在籍し、映像作家として活躍する芝田監督の初劇場公開が決定した。誰もいないはずの家で様々な世界が交錯していく『河童の家』(2025)、暗闇で光るキノコ・ヤコウタケと映画というメディアを重ね合わせた『暝映』(2023)、芝田監督の映像制作における出発点ともいえる『水面に映る家』(2022)の3作品を同時上映する。

映画を発見するようにして作られるその作品たちには、これまで取りこぼされてきた映画の可能性が格納されている。自らカメラを回し、現場で演者やスタッフと意見を共有し合うスタイルで作品を制作してきた彼女の歩みをスクリーンで追うことは、映画のはじまりへの遡行と映画の未来のはじまりへと観る者を導くだろう。

<応援コメント>

安藤礼二(文芸批評家)
−本特集上映に寄せて−
芝田日菜は、「映画」とは何か、「映画」には何ができるのかという根源的な問いを、作品制作という実践を通して突き詰めていこうとしている希有な映像作家である。「映画」のはじまりを探求する表現者のはじまりに位置する2つの瑞々しい作品、『暝映』と『河童の家』を、いまここで、「映画」が生まれた場所そのものを体現する「光」の館、映画館で鑑賞するという特権的な体験が可能となったことを心から喜びたい。(パンフレットの論考より抜粋)

清原惟(映画監督・映像作家)
−『河童の家』に寄せて−
わたしがいない間、家はどう過ごしているんだろう。家はどんな光を浴びて、どんな呼吸をして、どんな匂いを、どんな温度、どんな時間を過ごしているのか。芝田さんの作品を観ていると、そういった不可視の時間へ思いをめぐらせてしまう。人間が作ったものであっても、まるで自然のなかにいるみたいな時間を生きることがあるのだと。

鈴木理策(写真家)
−『暝映』に寄せて−
夢か、現か、幻か。
『暝映』はカメラに呼吸を与え、風を呼ぶ。
揺らぐ光は、いま見えているのか、思い出しているのか。
月に向かって立ち昇る煙は観音の姿に。
これは明恵の夢だろうか。

<監督コメント>

芝田日菜
カメラは普段気にも留めないような存在たちに気づかせてくれます。その驚きに導かれるようにして、映画を作り続けてきました。私にとって映画作りは、様々な他者とのコミュニケーションであり、世界を発見することです。この劇場公開を通して、鑑賞者の皆さまと一緒に、新たな映画体験をつくりあげていけるのではないかとワクワクしております!4月18日より期間限定の上映です。ぜひ、映画館まで足を運んでいただけたら嬉しいです。

「『河童の家』芝田日菜監督特集」

『河童の家』
メンテナンスのために青年が空き家を訪れる。誰もいないはずの家には複数の世界が、複数の仕方で共在し、そこでは女性たちがそれぞれその家で生活しており、ときに交差する。50年前に建てられたものの、誰にも住まわれることのなかったある一軒家との出会いから生まれた劇映画。撮影準備のための滞在期間に起こった印象的な出来事を起点に、役者やスタッフとの新たな協働の形を模索するなかで生まれた、映画を通して見出された物語。

『暝映』
暗闇で仄かに光るヤコウタケというキノコと、暗闇でスクリーンにイメージが投影される映画というメディアを重ね合わせ、「映画とはなにか」を自らに問いなおすようにして制作された第一作。映像制作の経験者不在のなか、日没から深夜にかけてわずかな照明で画づくりすることで、映画を発見するようにして撮影されたこの作品は、撮ることを通して世界を発見する歓びに満ちている。

『水面に映る家』
濁った川に映る家の映像。しかし水面のゆらめきや横切る水鳥や風によってイメージは変容してゆく。カメラを手にして間もない頃、散歩中に何気なく記録された短い映画。その、ごく普通に起こる小さな奇跡への驚きが、以降の芝田監督の映像制作の出発点となった。

「『河童の家』芝田日菜監督特集」は4月18日(土)よりシアター・イメージフォーラムにて2週間限定レイトショー

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