前代未聞! 凶悪な犯罪者たちに「恐怖の実験」監獄から鍵と看守を無くすと一体、どうなるのか?

前代未聞! 凶悪な犯罪者たちに「恐怖の実験」監獄から鍵と看守を無くすと一体、どうなるのか?
Netflix『アンロックド: 獄中の大実験』

拘置所なのに看守も居室の施錠もない…そんな状況に犯罪者たちを置いたとするならばどうなるか?リアリティ番組『アンロックド: 獄中の大実験』(Netflix)は、実在する拘置所を舞台に行われた社会実験の模様を収めた作品だ。

監獄から鍵と看守を無くすと一体、どうなる?

看守側の慢性的な人員不足と、それによる収容者たちへの極度の抑圧が生む再犯率の高さなどを考慮し、保安官の発案で行われたこのプログラムは、6週間の間、収容者たちの自由度を上げることで、彼らが社会性を持ち、コミュニティとして健全な形となることを目指す実験だが、前代未聞の試みとあって、拘置所の職員たちも収容者たちも最初は困惑気味。しかし、一度手にした自由を失いたくないという思いから、やがて年長者たちを中心に、健全なコミュニティとして、一応はその機能を持つようになっていく。しかし当然そこは拘置所。そうやすやすと理想形に近づくわけではない。

もともとかなり危険な犯罪者ばかりが集まる場所とあって、監視の目が届かなくなればよからぬことをやらかす手合いは出てくるものだし、いくら指導層にあたる年長者たちが指示を出したところで、若年層の犯罪者たちが素直に言うことを聞くわけがない。ルール通りに生活できる連中ならば、そもそもこんな場所には来ていないからだ。ほどなく年長者たちのグループは、“自由度の高い自治”を守るために、これまで看守ら所の職員たちが悩まされてきた様々な問題への対処を迫られ、その過程で彼らと同じように、精神を消耗させていくこととなる。しかも、彼らは所詮は犯罪者だ。ならず者たちの制御にあたっては、“お墨付き”や立場の違いがない分、看守以上の苦労を強いられるのは自明の理である。だが、こうした難しさもまた、発案者である保安官の“想定内”というわけだ。

また、こうした犯罪者の吹き溜まりのような場所でさえも、外の世界のように、世代間ギャップによる軋轢が生まれ、それが様々な問題を生んでしまうという点もなかなか興味深い。若者たちは自由を謳歌したい一方で、それに伴う義務や責任といった部分については丸無視が基本。基本的に刹那的であり、短絡的なのだ。逆に、「子供と会いたい」「子供と電話で話したい」といった強い願望の年長の収容者たちは、その願いを持続的に実現するために、躍起になって無軌道な若者に注意や警告、場合によっては恫喝じみた言動で縛りつけを行おうとする。傍目に見れば双方の主張が理解できるし、それは必ずしも共存できないものではないのだが、閉鎖的な環境ゆえか視野狭窄のような状況へと収容者たち、とりわけ年長の収容者たちが陥り、やがては彼ら主導の自治はその根底がぐらつくこととなってしまうのだ。自らの正義を妄信し、若者たちを「しばき倒す」ことでコミュニティを維持しようとする年長者たちと、その独善的な思考とそれが生み出す年長者たちの歪んだ正当性に抗う若者たち。その構図は、拘置所の外でもしばしば目にする光景そのものである。

この実験を通して見てくるのは、拘置所の中とて社会という至極当然の要素と、それを外の社会においてドロップアウトした面々が運営することの難しさだが、それとは別の部分で、プログラムの発案者である保安官の“怖さ”がどうしても気になってしまう。まるで動物実験のように淡々と収容者たちに“見えないミッション”を与え、彼らが苦悩し、傷ついても平然と実験を続けるその姿は、生殺与奪を握るものだからこそのもの。そうした意味でいえば、危ない犯罪者よりも危ない人間が持つ独善的な狂気に寒気を覚える作品であるともいえそうだ。

『アンロックド: 獄中の大実験』はNetflixにて配信中

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